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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

年度替わりと異動の混乱

職場でパニックを起こす

 以前の記事でも少し触れましたが、私のはたらく部署でも、年度替わりの異動があり、がらりとメンバーや席が変更されました。

morikanoko.hatenablog.com

 いちおう配慮は頂いていたのですが、それにともなう色々な雑務が積み重なり、混乱を引き起こしつつありました。

そして、ついにあるひ、職場で時間通りに仕事が終わらないこと、終わったと思ったら、別の人の仕事がいつのまにか私の所に残っていたこと、もうすぐ苦手な飲み会があることなど、予想外のことが重なり、帰り際にパニックを起こしました。

 

支援センターへ行けた

その日、私には予定がありましたが、大パニックだったため、それをなんとかキャンセルし、支援センターへ急遽向かいました。

これができたことは、とても大きいことです。自分を褒めようと思います。

 

そこで、わーわー泣きながらも、ここ最近の変化の多さや、仕事の忙しさを話しました。

そうして、センターの方から、「いつの間にか配慮がなくなってきているので、もう一度お話をしましょう」と結論をくださり、職場に連絡を入れてもらうことができました。

また、自分では飲み会のキャンセルがどうしてもできなかった(「断ること」「既に決定したことを自分で覆すこと」は容易ではありません)のですが、会のあいだ、そっとしておいてもらえるように、という連絡もしてもらいました。センター側から欠席連絡をしないのは、「私が自分でするように」ということなのでしょう。けれども、私にはどうしてもできませんでした。

 

上司と面談ができた

後日、上司と面談し、今私が行っている仕事をリストアップし、整理してもらいました。

すると、やはり多すぎる、また、人との関わりが多すぎる、管理業務の負荷が高いことがわかりました。

それらは、各個人に還元し、私の仕事を減らしてもらうことができました。

また、飲み会もその場で欠席ということにできました。

さらに、席を、もとに戻してもらいました。

ほっとしたのと、再びパニック状態を思い出して、涙が出ました。

少しだけ休んで、頑張って仕事に戻りました。

やっぱり自分を褒めようと思います。

 

「何かあったら、言ってね」の難しさ

面談では、「こういう事があったら、言ってくれていい」と何度も言われました。

私も、そのとおりだと思います。

けれども、日々の仕事に追われ、さらに多くの仕事に追われる上司に、それを伝えることの、何と難しいことだろう。

そして、どの程度のことは伝え、どの程度のことは耐えるべきなのか、どう判断するのだろう。

我慢すべきことや、愚痴って終わるべきことも、溜め込んでしまう私は、どうしたらいいのだろう。

私には、とても難しいことだな、と思います。

それができること、つまり、「セルフモニタリング」ができ、「つぶれる前にヘルプを出す」ことができること、が、一般雇用であれ、障害者雇用であれ、一般の企業で働く上でかなり重要であることは理解できます。

しかし、私にはそれがあんまり難しいことで、今、それをどうしようか、少し困っています。

 

けれども、そのために支援センターを入れてもらっているのではないか?という気もします。

もしかしたら、センターが入らないとできない、のは、私であって、組織の問題ではない、ということが、認識されていない可能性があるかもしれません。そこは、認識のすり合わせが必要だと、思います。煩わしいかもしれませんが、私にはそういう方法しか、おそらくできず、今後も、こういったやり取りが発生する可能性があることを、きちんとわかってもらわないと、いけません。それは、私の問題で、配慮できていないからセンターが介入するのではなく、配慮として、センターに噛んでもらう、ということの、理解をもらわないといけません。

 

また面談はあるので、その時にでも話してみたいと思います。

落ち着いて話すことができるのか、不安ですが、必要なことです。

 

啓発デー2017・ありがとうございました

 世界自閉症啓発デー@札幌に参加しました

参加予告記事です。

morikanoko.hatenablog.com

 

私の委託させていただいた「でこぼこれたー」は、委託したほとんどが売れたようで、たくさんの人に読んでいただけたようです。

また、当事者だけでなく、支援者さんにも購入いただけたようです。

Twitterで「でこぼこれたー」を知ってくださっていた方にも、手にとっていただけました!すてきな出会い。

たくさんのお店があるなかで、啓発デーの場所に来て、物販ブースに来たり、その他のコーナーに来てくださる方がたくさんいたようです。ありがとうございます。

少しでも何か伝わると良いな。と思います。

 

今回作った「でこぼこれたー」は、啓発デー用のもので、今後このように「販売」というかたちで行う予定はありません。

販売を行うと、どうしても、記事の編集時に、どうしても、記事に登場してもらう皆さんとのやりとりが、私には難しいためです。

今後は、クリニックにおいてもらって、読んでもらったり、データで公開、というかたちでの配布になるだろうと思います。

ほんとうは、紙のかたちにすると、やはり読んでもらいやすいのですが。

ちょっとゆっくりになると思いますが、やりたいことはまだあるので、よろしくお願いします。

 

委託先の方の作品たちが届きました

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そしてわたしも戦利品をゲット。わーい。

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つけてみました。

どんなふうにつかおうか、まだ考え中。

大切に使っていきます!

ゆっくりぼちぼちいきましょう 

パニックのときの体の状態

わかりやすいパニックとわかりにくいパニック

自閉スペクトラム症をもつ人は、独特のパニックを起こすことがあります。

それは、わかりやすいものと、わかりにくいものがあります。

どれも、悪意やさぼりなどはなく、ただただ本人が困ってしまったゆえの、結果の、本人が一番苦しい状態です。

 

これについては、こちらの記事にも言及してあります。

morikanoko.hatenablog.com

morikanoko.hatenablog.com

 わかりにくいパニックを、わかってほしい

パニックの中には、「固まる」「変わらない・にやにやしてしまう」など、見た目にパニックとわからないようなもの、場合によっては相手が気分を害すようなものもあり、それによって「大丈夫だ」と周囲や医療者に判断されてしまい、苦しむ当事者がいます。

私は、比較的わかわかりやすいパニックも起こしますが、そうでないときもあります。

やはり、そういう場合、わかりやすいパニックを起こしたほうが、困っていることはわかってもらえます。

 

わかりやすいパニックも、苦しい

しかし、だからといって、当然、わかりやすいタイプのパニックも、苦しくないわけではありません。

普通に過ごしたいのに、過ごせない。

嫌な視線を浴びます。

そして、ままならない体。

やっぱり、苦しいのです。

 

パニックの兆候や、パニック時のしぐさを可視化したい

そこで、パニックが起こる前に、それが起こりそうだということをわかるとよいでしょうし、パニックになっていることが分かることも必要でしょう。

たいてい、わかりにくいパニックや、パニックの兆候というのは、付き合いの長い支援者や、家族にしかわからないものですが、そうではなく、みんなが分かる形が理想です。

そういうことが計測できるウェアラブルバイスは、ないことはないようですが、普及・実用には、まだまだでしょうか。

www.turtlewiz.jp

そこで、私もできることとして、パニックのときの身体感覚や仕草を、図にしてみました。

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私は、こんな感じで、

頭の先がくらくらするのに、他の部分は冷えて固まっているような感じがします。

どんどんままならなくなるのです。

声がどんどん高くなったり、意味なく謝ってしまったり、「わからない」を繰り返し言ったりもします。

そうなったら、もう混乱しています。

 

こういうことを少しでも伝えられる・自分で見てわかる形にしておくことは、意味があるように思います。

ふやそうソーシャルサポーター(診察記録)

医療以外のソーシャルサポートを得るために

先回の記事から一週間後、再び通院・カウンセリングでした。

morikanoko.hatenablog.com

 こちらでもちらっと触れていますが、まあ彼氏、とかパートナー、には限らず、友達でもよいので、身近にもう少しソーシャルサポーターを増やしましょう、という課題を提示されていました。

 

「それはすぐにはどうしようもないし、なんのやりようも・・・」と私は思っていたのですが、なんと心理士さんはプログラムを用意していたようで、今回は、導入課題を行いました。すごい。課題は提示するだけではなくて、ちゃんと策を用意して手伝ってくれるのが、とてもありがたいです。

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まずは、今身近にいる人々を、自分との心理的な距離が近いように円の図に置いていきます。

そこで、身近な人や家族、会社の人、病院スタッフを置くのですが、私にはとてもむずかしい課題で、手伝ってもらいながらなんとか少し置くことができました。

基準がないものを行うというのは難しいのです。「てきとうでいいよ」としか、この課題はいいようがないのだと思いますが、難しいなあ。

そして、置いた人を心理士さんに紹介しました。

これには病院スタッフを含めるので、心理士さんに心理士さんのことを私の言葉で説明したのですが、その際にけっこうスパッと言ってしまったのが今更心配です。個人的には褒めたのですが。

 

その後、心理士さんから図の青い丸を示され、「このくらいに入る人が増えるといいね」と言われました。おそらく、紹介した言葉から、私との距離ではかったのでしょう。

私の発達障害を知りながら、雑談できる人が増えるといいね、ということでした。

 

今回は導入のようで、ここまででした。

けっこう辛い作業で涙も出てきてしまったのですが、今後どうしていくのか、全然わからないので、ちょっと楽しみでもあります。

うれしい配慮と物理攻撃のススメ

人事異動の季節です

この時期が苦手な人は、私に限らずでしょう。

発達障害の「変化が苦手」な特性をもつひとは、なおさらその割合が高いと思います。

そこで、ちょっとうれしいことがあったので記録します。

 

席を気にしてもらえていた

異動にともなって、(私の異動はないのですが)、席が変わることになりました。

私は現在、「後ろから声をかけにくい」「自分の後ろでざわざわうろうろと人の気配がしにくい」場所に、席の配慮をいただいています。

「差別しない」みたいなあいまいな配慮よりも、自分も相手もメリットのあるこの配慮が、私は気に入っています。

その席から、どうしても都合上、真ん中周辺に移る必要が出てきたのです。

それについて、できれば「真ん中のどのあたりが良いか」と気にしていただけました。

できるだけ背後からの声掛けが少なく、後ろばかり振り返らなくても良い席を、その中から希望することができました。

 

配慮はさりげなく、あたりまえにが、ほんとはいいよね

と思うのです。それがされていたんだ、ということに、ふとしたときに気がついて、嬉しく思ったのでした。

 

配慮をもらうならまずは「物理」がおすすめ

また、配慮をいただく場合、まずは「絶対にできないこと」「してほしくないこと」の次には、「物理的に、心地よい状態」をつくってしまえるものがおすすめです。

つまり・・・

配慮してもらいにくい:「叱らないでください」「焦らせないでください」系の、「相手の心理を変えてくれ」というもの

配慮してもらいやすい:「耳せんさせてください」「席はここに固定」「名刺全員分くれ」系の、「物理的でわかりやすく、そして、結果的にメリットのあるもの」

 と、こんな感じです。

例えば私が今回書いた「座席」については…

席によって、心地よさって結構違うし、声の掛けられ方も異なります。感覚も。

端っこの席の人に、わざわざ回ってきて背後から声をかけるひとって、なかなかいないものです。そんな面倒なことはしないのです。

ところが、真ん中の席の場合、「後ろから声をかけない」と配慮事項に書いても、「面倒だったり、導線上ヘンだと、やってもらいにくい」です。

そういうわけで、もう「物理的にこうなっちゃう」「それが結果的に配慮されている状態になる」ような工夫を、自分でなり、支援者となり、探るのがおすすめです。

 

今回のうれしい出来事は、きっとこれまでの積み重ねもあり、いきなりみんながみんな、というのは難しいでしょう。本当は、小さい頃からの教育の時点で、そういうことが当たり前の世の中がいいのだけれど。

とにかく、今できることを、できる人が探り、それを伝えていけると面白いかな、と思います。

 

ちょうどいい、は難しすぎるぞ

「ちょうどいい時間」に帰れない

以前からこれはそうだったのですが、ちょっと指摘を受けてしまったので書いてみようと思います。

まず、私は、「ちょうどいい時間」というのが苦手です。

 

何か予定があると待つことが難しく、そわそわもぞもぞして、前倒しではじめてしまうことが多いです。

これは結果的に「できている」「早い」ように見える

ので、問題とはなっていませんが、本人としては結構疲れるし、しんどい特性です。

また、約束の時間にも、異常に早く着いてしまうので、いつも時間つぶしに苦労します。約束の相手にも、気まずい思いをさせることがあります。

 

仕事においては、とにかく処理速度で何もかもをねじ伏せて「できているように見えている」ので、時間きっかりに帰るように”自分を設定”しています。それ以外に、どうしたらいいのかわからないからです。

いい感じの時間というのを、体で感じで、いい感じに帰ったり、来たりということが、出来る人というのはいるのでしょうか?私には、周囲がそういう魔法を使っているように見えて、なんだかいつも焦っている自分がばかみたいで、苦しいことがあります。

 

「連れだって帰る」のは難易度マックス、かも

そして、今回指摘されたのがこれです。

私には、同じ時間に仕事を終える同僚がいます。

その人が少し時間に遅れて帰ることというのがよくあります。

 

一方、わたしはそうしたことはほとんどありません。そういう設定だからです。

そして、一緒に帰る意味もあんまりわからないのです。

そもそも、帰る時間は決まっているのだから、私がどう調整すればよいのでしょう。調整すべきは、私ではない、という気がするのです。

そして、それをうまく伝えたり、コミュニケーションしたり、雑談したりして、時間を調整したり、潰したりを、さりげなくするという術を、私は持ちません。(だから、飲み会の後のよくわからない時間のようなものとかも、けっこううまく振る舞えない。)

コミュニケーションの困難、って、こういうことなのかしらん。

どうしたらいいかわからないので、わたしはどうすることもできません。

 

時間の調整に、コミュニケーションの調整が掛け合わさったようなワザを使わないと、「連れだって帰る」ということは、難しい

これじゃあ、どちらも特性上とても苦手な私には、太刀打ちできませんから、割り切ろう、と思っています。

 

でも、陰で何らかのこと(「待ってろよ」とか「手伝えよ」とかかと思われる)を言われていることは、実は知っています

 

そして、最近は、実は、がんばってがんばって、手伝えることが有るかどうか、聞くことが出来るようにはなりました。もうこれだけで結構泣きそうにしんどい。

でも、「いいよいいよ」と、その人はいつも言います。

だから、わたしは帰ります。

みんな、何も言いません。

 

ところが今日は、ある見るからに器用なある人(帰る時間が同じ人とは別人)に「もう少し待てば、一緒にかえれるのにな〜」とぼそっと言われました。

 

やっぱりぐさりときました。

わかっていることだし、いちおう「私にはここまでしかできない」と割り切っているつもりだったのですが。

 

ちょうどいい、は難しいなあ。

 

「不器用なんです」いえれば、よかった

少し時間が経って、そう思いました。

でも、そのときは、もうぐっさり刺されて、あっけにとられて、ぽかん、として、どうしようもなかった。

 

あしたも「ちょうどよくなく」生きるわたし

でも、それでもわたしは、あしたも時間よりちょっと早すぎる程度に出勤して、そわそわと時間を潰し、仕事をして、時間きっかりに、帰るのでしょう。ちょっとの、仕事を終えた達成感と、さびしさとか、苦い気持ちも、ありつつ、笑って「お疲れ様です」って言うんだろうと思います。

 

それができてるうちは、あとちょっと、あと1日、そうやって、がんばれるのかもな。

そうやって生きていくのかもなあ。

どこまでなら、それなりに楽しく生きられるか、探りながら、ちょっとずつ、楽しい方へ、生きようと思います。

世界自閉症啓発デーに委託参加します

自閉症啓発デーと発達障害啓発週間

www.worldautismawarenessday.jp

毎年この時期は発達障害当事者がすこし動きます。

4月2日が、国連の定める「世界自閉症啓発デー」だからです。

また、2〜8日は、発達障害啓発週間でもあります。

 

各地で、自閉症のシンボルカラーである「青」をテーマにライトアップが行われたり、啓発イベントが行われます。

 

そういったものがあまり得意とは言えませんが、ちょっとそわそわします。

 

札幌で行われるイベントの物販に参加します

ご縁があって、作った「でこぼこれたー」を委託して出しませんか?というお話をいただきました。

少ない部数ですが、少し印刷して、参加することになりました。

doc.co

現在出している1〜3までをそれぞれ出品します。

紙媒体で見ると、なんとなくうれしいものですね。

https://www.facebook.com/waadsapporo/

札幌のイベントページです(Facebookページに移行します)

 

知ることができないからこそ、想像しよう

わたしたちは全てを知ることはできない。

でも、想像することはできます。

どんな事情があるのか。どんな特性なのか。

私の知らない特徴をもつ人々が、世の中ではいつでも懸命に生きています。きっと。

私には絶対に他の人を理解することはできません。

だから、他の人のそのままを認めたい。認め合いたい。

 

わからないままで、じゅうぶん世界は優しくなれるのではないかと思っています。