pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

リ・セット

ようやくの決着

臨床心理士さんとのカウンセリングを終わりにしました。

 異動関連の記事はいくつか書きましたが、ようやくの決着をみました。

morikanoko.hatenablog.com

 

経緯あれこれ

書ける範囲でフェイクを入れながら経緯を書いておきます。

心理士さんとのカウンセリングは、2年位続いていたでしょうか。

最初は、大きい男性でちょっと心配でした。

けれども、発達特性に非常に理解のある専門の方で、けっこう早く安心する事ができました。たくさん「変で素敵な」カウンセリングをしてもらって、私は2年の間に非常に落ち着くことができました。

その心理士さんが、異動することになり。

私はかなりパニックになりました。

そこで、異動後も医療と連携しつつ、心理士さんがフォローに入るという形で、少しの間カウンセリングは続きました。

 

ところが、私の調子は崩れました。

季節的要因などもあったでしょうが、やはり変化についていけなかったということもあるのだと思います。

 

主治医の先生とも相談して、一度情報をシンプルにすることになりました。

いろいろな人にサポートしてもらえるのは良いことですが、それは「いろいろな人からいろいろなことを言われる(もちろん連携はとっているのですが・・・)」ことにもつながり、私の場合刺激が過多になることがあります。

そして、私は2年の間にとても理解のある方だったということがあって「この人じゃないとダメ!」状態に陥りかけていました。それは非常に良くないことです。けれど、理解のある人とじっくり話ができないのはつらい。非常になやみました。

ということで。

 

「しばらくは、ぼくとだけお話しましょう。心理士さんにはぼくからもいっておきます。決めました。」

 

主治医の決定が出ました。

はっきり情報をカット・整頓してもらったことで、さみしさはありましたが、かえって安心しました。

こういうとき、「0か100か」特性があると、後悔したり引きずったりすることが非常に少なく、ちょっといいです(笑)。(普段は、急に関係を切ってしまったり、急に登校をやめたり等、困った特性ですが)

 

そういうわけで、今に至りました。

 

青木先生の懸念

「光とともに」という、自閉症児を育てる漫画があります。

その4巻で、自閉症児の光くんを、とても理解してくれていた先生が異動になるエピソードが描かれています。

そのとき、その先生(青木先生といいます)はこんなことを話します。

「ボクだけが囲い込んで、光くんを理解してサポートし続ける、べったりの関係は良くない。」

というようなことです。

光くんをはじめ、支援学級の母親たちは、青木先生の異動を阻止したいわけですが、青木先生はそう言って、出来る限りの引き継ぎをして、去ります。

 

今回の私のエピソードにそっくりで、ああ、そうだよなあ。そうなんだよなあ。と、なんだか感じ入ります。

 

www.amazon.co.jp

 

良い決着だった

最後にごちゃごちゃと調子を崩したり、なんだりということはありましたが、主治医も、看護師さんも、心理士さんも、ケースワーカーさんも、出来る限りのことを(いつものがら)してくれました。わたしも、悪あがきをしながら、自分の道を歩むために模索しました。

がんばってがんばって、こういう結果になりました。

良い決着だと思います。

 

ちなみに投薬は、なんとストラテラがまた増えました。どうやら私の頭は、私が思っている以上に雑音が多くて忙しいみたいです。

また、しばらくは主治医との診察だけですが、必要に応じてカウンセリング等の支援を「足していく」可能性はあります。もういちど、シンプルにして、わかりやすくするための措置です。

 

読んでくださって、ありがとうございました。

これからも、あがいてあがいて、歩んでいきます。

 

くうきを贈る。

くるくるレインボー

くるくるレインボー」というおもちゃのキットが届きました。

 

おもちゃが届いた、それだけじゃなくて、なにか素敵な空気が贈られてきたような気がします。

 

早速作りました。光沢のある方を見ながら色を決めていったら、色がほとんど見えなくてびっくりしました。

心地いいきらめき。ふうわふうわうごくレインボー!

 

いいおもちゃです。

 

ameblo.jp

もりはこちらを参考にして作らせて頂きました。

わかりやすく写真が載っています。

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ストラテラと受け入れ体制

足りてなかったかも

ここ最近の不調で処方が増えたもりです。

現在は

 

・朝 ストラテラ40 エビリファイ3 抑肝散

・昼 抑肝散

・夜 ストラテラ40 サインバルタ20 抑肝散

・寝る前 デパケン30

 

という処方です。

朝のストラテラと、寝る前のデパケンが増量になっています。

まだまだ様子見ですが、火曜日現在、ある程度落ち着いて過ごせています。

 

興奮して自分で自分を混乱させるようにわーっとなったり、気持ちの波が大きくなっていないのは、たしかにストラテラデパケンの効果っぽいです。

また、一日中なんとなく喉に違和感があり、両足にきちんと形状と体重を感じやすくなりました。アーテンもどうやらなしで(今日は)過ごせました。アーテンに関しては「なんとなく安心したい飲み」をしないように注意です。

そして、これはどうもストラテラっぽいので、てことは今まで、効果があるにはあったものの、ストラテラ足りてなかったっぽい気がします。これ以上必要なのかはわかりませんが、まあそこはぼちぼちでいいでしょう。

 

受け入れ体制がスゴイ人たち

今日仕事をしていて、ふと思ったことです。

仕事を頼むときに、私に何かを依頼する際、けっこう多くの人が、「今話しても大丈夫?」とか「今はいっぱいになってないですか」とか、聞いてくれていることにふと改めて気が付きました。

知ってはいたのですが、改めて、「あ、これ配慮してもらっている結果だな」と気が付きました。

普通にこれができる同僚たちはもしかしてけっこうスッゴイ人たちなのではないか・・・。

私がもうあからさまに不安定になるからというのもあるでしょうが、それも受け入れつつ、一緒に仕事をしてくれる(避ける人もいるじゃないですか、きっと。いっぱいいっぱいになると泣き出す子どもみたいな大人と仕事するなんて、ねえ・・・)というのは、やっぱりスッゴイ。

 

なんていうか、私が人に恵まれすぎているというのもあるのですが、人間の許容量ってスゴイ、ひとってやさしいものだなー、などと感じる仕事終わりの時間なのでした(わたしは短時間勤務です)。

 

 

イレコ手帳・プレデビュー。

お試ししている手帳

2017年・後半分のみの販売があったので、「イレコ手帳」をお試ししています。

2018年に向けて、ちょっと気が早いですが、使ってみたくなり・・・。

後半分だけ、という販売があったので、買ってみました。

tent-lab.stores.jp

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もともと手帳は好きなのですが、最近はネット上で記録することや、別媒体で(仕事の予定等は持ち出せないので)で記録することばかりで、あまり手帳を使えないのが悲しかったので、ちょっと良いかもしれないな、と思っています。

また、私は「荷物は減らしたいけど・手帳は持ち歩きたい」というややこしい希望があるので、それにも叶っていました。

 

たのしい手帳ライフがまた送れるといいな、と思います。

不調が続いています

不調が続いています。

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今日の通院でもひどい状態になってしまいました。

別室を使わせてもらい、診察と会計もそこに来てもらいました。なんともなりません。

こんな状態に対応してもらえて本当に助かっています。申し訳ないけれど。

先生に、気持ちを前みたいに紙に書いて持っておいでと言われ、つぎに持っていくためのシートを作成してみましたが、これが限界でした。

投薬はストラテラが朝にも増えました。

とりあえず明日を乗り切ります。

 

あまりこういう記事をUPするのはどうかと思いましたが、どろどろをちょっとでも昇華できないかと試みています。申し訳ありませんがご了承ください。

ことばの「面倒さ」とはどういうことか

「ことばは面倒だ」と言うASD者 

Twitterで見かけた、ASD児者の「ことばは面倒」という発言。

私もそうだと思います。

いくつかの記事やツイートで、それに類することは主張しているのですが、あらためて「ことばの面倒さ」について、記事にしてみようと思います。

 

ことばを使う、とはどういうことか

「とりあえず、ほぼ、同じである」という暗黙の了解

まず、ことばを使う、とはどういうことでしょうか。

morikanoko.hatenablog.com

これは以前、かなり昔ですが、書いた記事です。

ひととひととは、「ほんとうにわかりあう」ことはできていないものです。

それでも、前提として「だいたいこんなことを考えるものだ」「ある程度の幅は容認しつつ、こんなふうに感じるものだ」という暗黙の了解のもと、社会生活を営んでいます。

その前提がなければ、社会は危なくゆらぐでしょう。

つまりはそういうことで、ことばを使う、というのは、「あることばは、こういう意味だ」と、だいたい通じているだろう、と、みながある程度の信用をして、ある程度の幅を容認して、「とりあえずおなじ」と前提して使っている★、ということになります。

 

言語化の難しさ

認知特性「映像や画像での思考」

ASD者に限りませんが、ヒトが思考する時、何を使うかは個々人で異なります。

その際、どうやら多くの人というのは、言葉をたよりにして思考するようです。

ところが、ASDの人は、「映像や画像」など「言葉以外」のツールをたよりに思考する人が多いです。

そうすると、その思考を表現する際には、それを言葉に落とし込む、という工程が必要になり、タイムラグが起こりますし、変換しきれない部分も出てきます。

そのため、「ことばは面倒だ」と感じます。

 

わたしは、頭にUSBメモリでも差し込んでそのまま落とし込めたらラクなのにな、伝わるのにな、と思うこともあります。

 

語彙の不足・身体感覚のちがい

また、単純に語彙が不足しているということもありえます。すると、思考している内容をすべて表出することができません。「ことばは面倒だ」と思うでしょう。言語の発達段階によっては、かんしゃくやパニックも起こりえます。これはASD者にかぎらずそうでしょう。

さらに、ASDをもつ人は、身体感覚がASDでない人と異なっていたり、希薄だったり、過敏だったりすることがあります。

すると、それをことばにしたとき、他者と、大きく表現がずれたり、伝わらない、と言う経験が、通常より多く起こります。人格ではなくとも、否定される、という経験が多く積まれます。それはつらいものです。

そうすると、「ことば」や「自分の感覚」といったものをうまく信じることができにくくなります。

の前提をもつことが難しくなります。

 

 言語化の乱暴

もっと多くのことを感じているのに

私が最も強く主張したいのが、この部分です。

ことばは、はじめに記述した通り、「だいたいこうだろう」という、ある程度の信用で通じている、という面があります。

すると、どうしても、バラツキのある個々人の「平均」をとらえた意味を、おおざっぱにすくうことになります。

 

すると、どんなに丁寧に、丁寧に、ことばを紡いでも紡いでも。

感覚や意味、細かなニュアンスやうつくしさ、ちいさなモヤモヤや見落とせない感覚。

私にとってとても大切なものものが、ぼろぼろとこぼれ落ちた表現にしか到達できません

それは、ひどい暴力に感じます。

「とりあえず、いいじゃん、きにすんなよ」を、毎回毎回、毎回毎回、耐えて、耐えて、過ごすのは非常に苦痛です。

 

きっと、ヒトの歴史の中でたくさんある「むだなもの(むだにみえるもの)」というのは、そういうことを、ゆるせなかった、過去を生きてきたたくさんのわたしの先輩たちのもがきの痕跡なのです。

 

まとめ上げることが苦手

上記は、ASD者の特性のあらわれとしての「細部にこだわる≒まとめ上げることの苦手さ」にも関わり、言葉でおおざっぱにくくってしまうということに対する不全感が、ASDでない人と比較してASD者により多くみられることに関わるのではないかと思います。

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それでもわたしは、ことばを使う

ああ、なんて不便なんだろう。

面倒で仕方がない。

全部、ダンスでいいじゃん。

とか、

もう、なんにも表現しなくていいじゃん。

とか、

もやもやして、いらいらして、とめどない不全感にやられてしまいます。

 

でも、ことばというもののうつくしさも、理解しています。

そして、現状、おおかたのひととひととがわかり合うための、そこそこの手段のひとつ、上位に、ことばというのは含まれます。とりあえず言葉にすることの必要性も、充分にわかっているつもりです。

ことばが嫌いではないのです。

好きだからこそ面倒で。

でも、同時に暴力で。

やられながらもうっとりしている自分がいます。

もっともっと伝えたい事があるのに。

表現できたらいいのに。

ことばは難儀なものです。

でも、それでも私はことばをあきらめません。

使います。

もがいてもがいて、わたしの思考やみたものきいたものの痕跡を、ことば(や、その他の手段でも)で残してやろうと思います。

 

こんなふうに感じているひとがいることを、まずは知ってもらえたらと思います。

 

↓覚書として。

togetter.com

医師とのコミュニケーション

「あまり聞いてもらえなかった・・・」

精神科や心療内科の診察、とくに再診において、こんなふうに感じる人がけっこういるんだな、と、時々思います。

私は、カウンセリングを併用したりしていること、医師が発達障害に理解があることで、そういう思いはあまりしないのですが・・・

「待ち時間は長いのに診察は5分」

「いつもの薬を出して終わり」

と感じる人は結構いるようで。

精神障害発達障害があると、自分のことを話すのにも時間がかかってしまったりもして、より不全感があるのかもしれません。

一方、医師も、そんなに長く1人に時間は掛けられないのかな、と思います。

 

再診用問診票を作ってみた

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再診用問診票

これは、以前にも別の画像とともに上げたのですが、最近またちょっとそう感じることがあったので、これ単体でアップしておこうと思います。

だいたい、A4またはA5で、これくらいのことを伝えられたら、また、医療者からみて伝えてくれたら、いいのではないか、と思い、作成しました。

 

使用してもらってかまいませんし、合わなければやめてもらえば良いと思います。

 

医師はカウンセラーではない

ただし、医師はカウンセラーとは役割が違います。

ちいさなクリニックだと、医師・心理士・ワーカーがそろって、チームで動くということは難しいと思いますが、本当はそれが理想で。

医師は基本的に、診断・投薬がメインの役割であるので、あまり長く話を聞いてくれる、というのもなかなか難しいでしょう。

 

落とし所が難しいなあ、と思います。

そのひとつの解決策として、こんなメモはどうかな、と思っています。

また、日記やスケジュール帳を見せてしまうのもひとつの手です。

 

ぼちぼち伝えていきましょう

いろいろなしんどさや問題があって。

すぐ答えがほしくなります、すぐ解決したくなりますが、ぼちぼちといくしかなさそうです。

じりじりすすめられれば、まあOKとできるといいなあ。