pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

支援センターに行きました

「障害者バレ」の件の報告

morikanoko.hatenablog.com

 この記事のことを、一応報告しておくために、支援センターに行きました。

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事前にかんたんなメモを作っておいて、話すことをごまかしてしまって後からモヤモヤしたり、話す内容を忘れてしまわないようにしました。

 

ちゃんと話ができました

ついでに、心理士さんの異動の件も、なんとかなりそうなことも報告しました。

どちらも、ちゃんと話ができて、良かったです。

支援員さんは、フロアの人に私が障害をもっていることがばれていたことについて、「え?!」と驚いていたようです(正直、はじめから「名乗り」の件は指摘しようか悩んだ私にとっては、この反応は驚き・・・)。

 

どうやら、会社側には最初にセンターが入って、私の特性について説明してあったようですが、その後、誰にどこまで伝わったかはセンターにも不明であるみたいで。

その後、異動などもあったので、現状がちょっとモヤモヤする状態のようです。

 

かといって、現在、フロアの人たちは、わりとうまく私に対応してくれているので、ここで、改で説明に入ったり、状態を尋ねるのもなあ・・・中途半端に隠すのもなあ・・・・という状況で、結局報告するだけにとどまりました。

ただ、やはり、どう伝わっているのか、周囲が察しているだけの場合「心の弱い人」のような捉えられ方をされていたら、いやだなあと思うことは、支援員さんに伝えました。

支援員さんからは、上記については概ね賛成してくださり、その上で

 

  • センターは、いつでもどんな内容でも、来て話してくれてよいこと
  • いまは安定しているようだけれど、これから、もりの心持ちや、職場の変化次第で、もやもやしたら対応できること
  • センターの名前を出さないで訪問してほしい場合、可能であること

 

と言ってもらえました。

私の心持ちやもやもやが変化したり、職場の環境が変化することは、わたしは全く考えていなかったので、「なるほど」と思いました。細々したところまで想定してくださり、対応してくださって、非常にありがたいです。

 

いい表情ですね

支援員さんから見て、今回の私は、いい表情で安定しているように見えて良かったということもお話してくれました。

確かに、今までセンターに行ったときは、もっとひどい状態だったので、いい状態で、きちんと支援員さんとお話ができて、なんだか感慨がありました。

 

医療や福祉とも、ゆるくつながりつつ、いい感じに過ごしてゆけるよう、落ち着いて、焦らず歩もうと思います。 

今までの振り返り

カウンセリングが一区切り

この頃、生活全般・カウンセリングが落ち着いてきたので、区切りとして振り返りをしました。

私が今の病院にきて3年ほど、カウンセリングは2年半ほどになります。

 

はじめてのカウンセリングの記事

morikanoko.hatenablog.com

 この頃は、病院でパニックをよく起こし、かなり混乱していました。

はじめからASD傾向ははっきりしていたそうで、すぐに主治医の先生が「ASDだ」と見切っていたようです。心理の先生は、始めは少し迷ったが、しばらくしてASDだと思った(これは診断ではありませんが・・・)とのことでした。

少しして、きちんとASDの診断がされました。中核群、いわゆる「典型的なASD」らしいです。

混乱していたため、生活全般への支援が必要と判断されたようです。

 

治療には前向きにがんばった!

治療や、生活の立て直しは、医療ももちろんとてもよくしてもらいましたが、私自身も、特に就職については、頑張ることができ、順調に決まり、その仕事が今も続いています。医療側も現在、仕事をこれからもがんばれるだろうとの判断をしています。

好きなことである「絵」も、「わわわ」に入ることができました。

ある程度やることがしっかり決まってからは、パニックも減り、落ち着いてきました。

 

これからも医療のサポートは必要

落ち着いてきてはいますが、これからも、医療や福祉とはつながっておく必要はありそうで、自分の生活に負担にならないように、でも医療と切れてしまわないように、していきます。

morikanoko.hatenablog.com

 以前の記事:この図くらいの生活と医療のバランスが、私の目標です。

現在、通院間隔がちょっと短いですが、いい感じかもしれません。

ばればれだったみたい

ばれてた〜

こんにちは。

先日、こんな記事を書いたときには、

morikanoko.hatenablog.com

私の場合、障害者雇用で働いていますが、障害についてある程度(正直、大して知らないだろうというのが私の感触ですが)知っている・説明しているのは、直属の上司やもっと上の人だけ、という状況です。他の人は、知らないか、ある程度察している(明らかに支援員が入ったり、言動にずれがあるため)程度です。

と書きましたが・・・

どうやら、同じフロアではたらく同僚さん達は、私に障害があることをごく普通に知っていたようです。

 

お昼休みに「ココズレ」の話題

お昼休みの食堂で、たまたま一緒になった人(多分健常者です)が、「ココズレ2」が面白そうだ、と話をしてくれて。

www6.nhk.or.jp

「ココズレ」の前回の感想をちょっと聞かせてくれました。

私は見ていなかったのですが、興味深く感想を聞かせてもらっていましたところ。

「あ!そういえばもりさんもいちおう”そう”なんだよね、なんかごめんなさい」

と、さらり、と、言われた、という次第です。

 

うーん、とりあえず「ま、いっか」

おそらく、やはり支援員さんが、いつも正直に名乗って入ってくることや、パニックになったり、時々上司とお話をしているところから、察していたのでしょう。

1人がこの認識ということしかわかりませんが、まあ、おそらくみんなこんな感じなのかな?と推測しています。

 

うーん、いろいろと「どうなのかなあ」とは思いますが、とりあえずは、いまの同僚さん達はごく普通に接してくれて、困った時はうまく助けてくれたり、放おっておいてくれたりしていて、特に「障害のせいで避けられている」ようなことはないので、これはこれで、いいのかな・・・と思うことにします。

(というか、ここ数日、ツイッターが思いの外拡散されたり、心理士さんの異動も迫ったりと、いろいろあって気持ちが追いついていないのです)

 

ただし、支援員さんの「名乗り」に関しては、カミングアウトの範囲ややり方を事前に一応打ち合わせていたにも関わらず、その意味がなくなってしまってる状態で、私もそれを黙認してしまい、結果的に中途半端な状態になってしまっている、という現状があるので、落ち着いたらちょっとお話をしないといけないな、と思っています。

そして、もっと言うならば、「”そう”」とか「”ごめんなさい”」と言わせてしまっている同僚さんに、私のことがどう伝わっているのかも、ちょっと知りたいな、と思います。(が、勇気がない)

 

カミングアウトは慎重に。

最後に。

障害のカミングアウトですが・・・

慎重に考えて行うほうがいいかな、と私は思っています。

あえて「障害」を出す必要があるのか。

それとも、個別に「◯◯ができないんだよね〜」と出していくのか。

誰に、どこまで言うのか。

人によって。シチュエーションによって。自分の気持ちによって。

異なってくるのではないかと思います。

 

今回、私は意図せず職場ではカミングアウト状態になってしまった(っぽい)ですが、できればそうではなく、専門家も頼りつつ、自分の意思で「誰に・どこまで」をコントロールできると良いと思います。

 

わたしはわたし あなたはあなた

きっかけTweet

 

もう少し詳しく書いてみました

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もうちょっとぽろぽろと言いたいことは出てくると思いますが、一端まとめておこうと思い、このようにしました。

ひととひととは、それぞれ異なる。

ひとの苦しみは、わからない。

実感することはできない。

他人の苦しみや、そのほかの事情や、気持ちを、

勝手にジャッジするのは、

絶対にしてはいけない。

そう思います。

それは、「精神科の病気や障害のこと」でも「服薬を決めること」でも、その他でも、おなじだろうと思います(犯罪とか、そういうことは、ちがいますが・・・)。

 

「わたしを束ねないで」

nina313.hatenablog.com

好きな詩です。

わたしを束ねないで。

 

さいごに 

妙なめぐり合わせで、Tweetがたくさんの人に読まれおどろきました。

言い切りすぎてしまった、と思います。いろいろな人がいるのに。決めつけてしまったかもしれません。

慎重につぶやかないとなあ。

 

反省です。

でも、潰れてしまわないように、反省しているつもりで落ち込んでいかないように、適度に情報をコントロールしようと思います。

(一方で、救われましたと言われたのは、いいことなのかな?)

 

「そのまま受け取る」と、潰れる。

冗談がわからなくて困る?

私は、冗談がわからなくて困ることは、正直あまりない。

確かに、うまく冗談に乗ったり、言ったりできない時、さびしい思いをさせるし、自分も寂しくなるし、うまくひとと関係できないことにもなる。

ただ、特に仕事の場面では、冗談がわからなくても、仕事中に冗談ばかり言われることもないし、私の場合、キャラクターの一部として機能し、そこまで責められたりしない。

ただし、これと類似で「発破をかけられた」ときは、とても困ったことになってしまう。

 

「話半分で聞く」ということが難しい

例えば、教師や上司の叱咤激励。

私は、そういうものを真に受けて、頑張りすぎたり、変な方向にがんばったりしすぎてしまう。

どうやら、そういうものは、話半分でいいらしいと、社会に出て教わった。

けれども、そういう「(建前に対する)本音の部分」というのは、基本的に言わないことであり、わざわざ話をする前に「話半分で聞いてください」と言ってから叱咤激励する人はいないだろう。

それなのに、みんなうまく、潰れないように、できているように見えて、とてもふしぎだ。

みんなは、表情や言い方から、どの程度真剣に?受け取れば良いのか、わかるように見える。叱咤激励された後でも、固まってしまったり、パニックにならずに、のんびりしているように見えて、羨ましいような歯がゆいような感じがする。

とてもふしぎだ。

言葉を受け取る度合いを、うまく調節するツマミが付いているのだろうか・・・?

これは、「冗談が通じない」の類型なのではないか、とふと思い、記録した。

 

「朝礼」「会議」「終礼」は、パスできれば、パスがいいかも

ものごとをそのまま受け取りすぎてしまう、くそまじめタイプの自閉の人は、そういう叱咤激励をされやすい「朝礼」「終礼」「会議」は、外したほうが、ちょうどよく(もともと真面目だから・・・)動けるかもしれないと思う。自閉の人に限らず、真面目すぎるひとは、それくらいが、ちょうどよいのではないかなと思う。もしくは、全員に、話は真面目に捉えるようにしてもらえば、叱咤激励が極端になることはなくなり、良いかもしれない(難しいだろう)。

 

現状、運の良いことに、私はそれらに参加していないので、働き続けていられるのかもしれない。正社員(にはなれないのだが)になるとしたら、そういう配慮を求めてみるのもありかもしれない。

1人になりたい!

我が家もお盆休み

世間はお盆休みです。

私は、1日休暇を取った以外、出勤です。

お盆の間は、仕事はゆったりですが、出勤はします(休むこともできますが、有給日数との兼ね合い)。

しかし、家族はお盆休みのようで、家にいます。

 

いつもの夕方は「家で1人(と一匹)」になれる時間

私は、短時間の勤務のため、夕方帰宅すると、基本的に「家で一人」になれます。犬はいますが、犬なら大丈夫です。

ところが、このお盆休みはそうは行きません。

家族に支えられてなんとか生きている身ではあれど、がらんとした家で一人になる時間がほしい!

とりあえず、自分の部屋に避難していますが、部屋は暑い・・・・。それに、気配や物音はします。

それで、そわそわして、何も手に付かなくなっています。

早く日常を取り戻したい。

でも、休みは必要。

そわそわするここ最近です。

うーん、やっぱり早く日常になって欲しい。

もしくは、自分を休めたい。

 

お盆が終わるまでは、なかなかいろんなことがスムーズにいかなさそうです。

公の場でのパニック

外で、職場で、目立つタイプのパニックを起こす

外出先で、目立つタイプのパニックを起こすことがあります。

先日、職場で、頭がわーっとなってしまいました。

目立たないパニックもつらいものですが、目立つタイプの場合、周囲の目は厳しいものになります。

私の場合、障害者雇用で働いていますが、障害についてある程度(正直、大して知らないだろうというのが私の感触ですが)知っている・説明しているのは、直属の上司やもっと上の人だけ、という状況です。他の人は、知らないか、ある程度察している(明らかに支援員が入ったり、言動にずれがあるため)程度です。

まずパニックを起こさないように、環境等の調整をすることが必要ではありますが、そうそう常にうまくいくわけもなく、起きるものは起きます。

先日、そんなこんなで職場でわりとたくさんの人にその状況を見られてしまったのですが、非常に助かる対応をしてもらえたため、記述しておきます。

 

必要以上にやいやい言わない=やさしい無視

その時の場合、私は涙がだーだー止まらないという状態でした。必死で泣き止もうと、席を外しては戻り、しかし涙が出ては席を外し、という怪しい行動を、ほぼ午前中続けて、仕事をなんとかかんとかやり、午後にはある程度まとまった時間、席につけるように立て直しました。

明らかにおかしい行動なのですが、何も言われず、騒がれもしませんでした。後から変な慰めもありませんでした(これ、とても大事で、必死に日常に戻ろうと、意図的に淡々とやることをやっている中で、変なタイミングで慰めのようなものがあると、また崩れるのです)

 

周囲の人の人間ができているのか、それとも腫れ物あつかいなのか、上司が介入したのか、不明ですが、基本的に無視・さらに、その後も、変わらない態度で接してもらえています。

 

すごくありがたかった・ありがたいです。申し訳ないけれど、ありがたいです。

 

パニックが続きすぎて帰れないとか、業務に戻れないような、これよりもひどい状態になると、また話は別で、支援員さんへの連絡(基本的に自分でできないと一般企業での障害者雇用は難しいと思いますが・・・うーん、難しい。)なり、お休みの手続きなりがあるので、そういうわけにはいかないと思いますが(以前そういう状況になったときは、たまたま支援員さんが訪問しており、支援員さんを通じて休むことになった)。その段階をみきわめるところまでは、一般の人に求められなさそうだな、とか、支援員さんの質とか、相性とか、いろいろ絡んでくるのですが・・・

とりあえず、それはそれとして、今回、たまたまかもしれませんが、そうやって乗り切れたので、ひとつのケースとしては、良かったのかなと思います。

こういうことがある以上、やはり私は、「できること」が非常に多くて、問題ないように見えても、支援が入る必要があるのかもしれないな、と思いました。

 

障害者だって、当たり前に恥ずかしい。

当たり前の話なのですが、障害者だって恥ずかしいとか、傷つくとか、プライドとか、そういう感情を持ち合わせています。

「できない」のは、恥ずかしい。

でも、そうも言っていられない。

でも、やっぱり、恥ずかしいし、申し訳ないし、プライドが傷つきます。

 

だから、できれば、あまり騒がず、見守ってほしいと思います(場合にもよるのですが・・・)。声を掛けたり、対応する場合、別室に呼ぶとか、支援員さんを通すとか、静かな声でとか、そんなちょっとしたことがあると、とてもありがたく感じます健常者だって「泣いてる!大丈夫?」なんて、大声で言われたくないのではないでしょうか。それとおなじなのです。

 

あまり腫れ物になってしまいそうで、こういう微妙なことに触れたり、お願いしたりするのは得意ではないのですが、たまたまこういう状況が起こったので、書いてみました。