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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

「好き」にバロメーターはあるのか?

好きな◯◯はなんですか?という質問がとっても苦手です。
特に「好きなアーティストは?」「好きな曲は?」という質問が、恐怖を感じるほど苦手です。


今日はやたら縦長になっちゃいましたが・・・
最近の気づきです。

私は少し前まで「好き」の感覚がわからないのだと思っていました。
ちょっと自覚が薄いことは、確かにあると思いますし、執着・こだわり等との違いも今ひとつです。

でも、きっと私の問題はそこではなくて、周囲との相互作用がうまくいかないことにあるのです。


好きになれば、みんなのように、その周辺の人々のことを調べて暗記して、話せると思っていました。
好きになるものは、みんなが好きなもの、みんながわかるものじゃないといけないと思っていました。
音楽が好きな子は、誘われたらカラオケに行っておもしろい歌を歌えなきゃいけないんだと思っていました。
どうやってみんながいろいろな芸能情報を知っているのか、必死で調べたりしました。
みんなが聞いている音楽をこっそり調べて、好きかどうか考えました。
まねした!って言われるのも怖くて(「まねしないで」もしっかり鵜呑みにしていました)、結局そういうことをして「いいな」と思っても、意味はありませんでした。
それでもしばらくはやめられませんでした。



そうじゃないんだね。そうじゃない、好きがあったっていいんだ。
感情は私のもの。
おしゃべりするための材料なんてちゃちなものじゃないんだ。

大学生も後半になって、研究室配架になり、人々が多様化し、無理に一緒じゃなくて良くなって、とても楽になりました。
それでも上記の困り感はあったし、実際にやっていましたが。

「好きな◯◯」が「わからないんだ。」でも、大丈夫。
会話がうまくできなくたって、大丈夫。
なんとかなるよ。
世の中はいろんな人がいるよ。

今はそう思うようにしています。

それぞれの好きが、それぞれ違って、「これにはプラスの感情がわく。近くにいたい。みたい聞きたい。なんだかいいな」といったぼんやりした気持ちで、それを便宜的に表しただけのこと。
言葉はとても力があるけど、時にはたったそれだけなんです。

知っている、詳しい、なんてことは好きのバロメーターではない、という話です。