読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉症スペクトラム。 わわわアール・ブリュット作家です。

「興味の限局」、内と外

ASD カウンセリング

「興味の限局」とは(外)


発達障害、特に自閉症スペクトラムの人にあると言われており、DSM−5における診断基準の1つとしてもあげられているものです。
生活全般に対してバランスよく興味関心をもつことがなく、興味のあることだけに熱中する傾向を指します。興味のあることに熱中する、ということは誰にでもありますが、生存行動・社会生活・コミュニケーションにも大なり小なり支障が出るような「病的/障害的なもの」である場合に、「興味の限局」として、医療や福祉の分野で扱われます。

自閉症の重い人では「ミニカーを並べ続ける」「水を眺め続ける」などの行動がよく例としてあげられ、程度の軽い人でも「いわゆる”おたく”」のような行動や、「こだわり」と言われることもあります。

自分に「興味の限局」があると、自覚できない(内)


私は先日のカウンセリングの流れで「自分に興味の限局があると見立てられている」ことを知りました。
自閉症スペクトラムの診断を受けているので、理解していたはずなのですが、意外に思いました。そして、少し考え「いわゆる定型発達の社会からみると、”興味の限局がある”と見立てられること」は理解できました。けれども、やはり自分ではそう思えません。

むしろ、「わたしは世界のあらゆることに興味がある」と思っています。
興味の幅が非常に広い人間だと思っているのです。

私の興味(内)


私は、世界のこと、文化のことを、知りたいといつも思っています。
自分の発達について、他者の発達について、社会について、人間といういきもののついて、動物について、ことばというものについて、ものをつくること、すべては、「世界とは何か?」「どうして世界はこのような有りようなのだろうか?」といった問題に還元されることを感じています。その手がかり・足がかりが、先に上げた「自分の発達について〜」等の小テーマなのです。自分の足がひっかかりやすいテーマが、たまたまそれらであるために、それを通じて、世界のありようを見極め、仕組みを解明しようとしているのです。

心理士さん曰く(外−内のつなぎ)


心理士さん曰く、「研究者は自殺率が高い研究者は、まさにあなたの言うようなことに興味を持っているが、それは興味が限局しているんだよ」「大学院生が病むのも、1つのことばかり考えているから。」とのこと。

また、興味が限局していると、うつになりやすい傾向もあるそうです。気晴らしができにくいからですね。
したがって、自閉圏の人というのは、うつのリスクが高いことになります。意識的にリスクマネジメントをする必要があります。(発達障害に限らず)障害児療育で「余暇の指導」をすることも、このあたりの意図があるのかもしれません。
だから、心理士さんは「色んな楽しいことをやってください。あなたは、興味の限局がみられるから」という意図の話をされました。そこで、この記事のことを発想したのです。

ただし、私が「興味の限局」を無理に直すと、その分「本当の私の興味(上記)」の達成に支障が出て、それはそれでうつリスクになります。したがって、「興味のあることを思い切りやるための環境を整える必要がある(前回記事参照)」ということになるのです。


さいごに


そういうわけで、「外側から見たら」私には興味の限局があります。しかし、それは「内側から見たら」正反対なのです。
むしろ、私に言わせれば「みんな、興味の幅が狭くないか?楽しいの?」とさえ思います。むしろ、気になることがありすぎて、生活するための行動が邪魔くさいほどに、興味があるのです。
一般社会とのズレがあるだけで、「限局している」わけではないのではないかと思います。
そして、それが私の世界(感覚)のすべてであり、きれいに完結している世界である以上、興味の限局を理解することはできても、ほんとうの意味で、外側からの自覚をすることはできないのかもしれません。

「内側から見た自閉症」というウェブサイトがありますが、そういう「内側の世界」をもっと追求してまとめたいです。それは、世界のありようの一端だからです。