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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

「裏庭」 傷と毒親 3 毒親 〈了〉

※冒頭は1と同じです


梨木香歩『裏庭』です。

梨木香歩さんという作家は、比較的女性が好む傾向にある作家です。
この作品は、児童書コーナーにあり、子どもの頃に読みました。

今回改めて読み返しました。

というのも、思い返すと、昔は意識をしませんでしたがこの本があからさまに「傷(心の傷)」「きょうだい児」「毒親と子ども」の3本立てのような構成になっているなあと思ったからです。

もちろんそれ以外にも、サンクチュアリのようなすてきな庭の描写や善悪に関する記述、戦争、またファンタジーとしての楽しみもあり、私は主にこちらで楽しんでいます。

けれども、私のツイッターでは発達関連のフォローが多く、それにともなって「傷ついたこと」「親とのかかわり」「きょうだい児」の問題も多くツイート、リツイートされて読んでいます。
そこで思い出して、再読しました。それをまとめます。

以下ネタバレ



さて、1でも説明したように、主人公、照美の両親は今で言ういわゆる「毒親」です。

知的障害のあるきょうだいの世話(命にかかわる)を照美にまかせ、それ以外の価値を照美に感じさせない。自己肯定感を育てない。ほったらかしな親。照美がたまに話しかけても、それどころじゃない時はほとんど無視しています。

照美自身も、両親とはわだかまりを感じています。

そんな両親。

母自身も、「毒親育ち」です。祖母(照美の母の母)は照美の母、幸江(さっちゃん)に辛くあたります。ファンタジーな世界、空想を否定するような態度で、そういうものが好きだった幼いさっちゃんは大いに傷ついて育ち、おとなになってからも「傷つけられた記憶しかない」と感じています。

祖母がそんな仕打ちをしたのは、戦争が原因にあるようです。

父は、さっちゃんから見て、とても淡白。息子が死んでも反応が薄いです。けれど父自身も、それに気がついていて、考えています。

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親自身が傷ついたからと言って、子どもが傷つけられていいというわけではありません。精神的虐待の連鎖はしてはなりません。

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そんな事情を、この本では「照美」のことは「照美」、幸江のことは「さっちゃん」、父のことは「徹夫」と、名前で呼びます。役割名を使うのは、その人にとってのその存在=照美が語り手の時の幸江=ママ、と言った具合のときです。

『ママの名前は、幸江という。
小さい頃は、さっちゃん、と呼ばれていた。だから、ここでも時々そう呼ぶことにしよう。そのほうがいいような気がするからだ。』

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結果的に、バーンズ屋敷の裏庭を冒険し、傷について学んだ照美が(先に)悟り・母親との決別を果たします。

『―このひとは、私を怖がっている。
「パパが今、外であなたを探しているのよ。呼んでくるわね」
さっちゃんは、戸惑いを隠せないままに、外へ走った。
照美は、捨てられた子どものように後に残された。
ーママと自分ははるかに遠い場所にいるんだ。
その認識は、照美に、自分と母親はまったく別個の人間なのだ、という事実を肌で理解させた。
(中略)まったく別個の人間。
それは、なんという寂しさ、けれど同時になんという清々しさでもあったことだろう。
―そして、そう、それなら、私は、ママの役に立たなくてもいいんだ!私は、もう、パパやママの役に立つ必要はないんだ!
それは、照美の世界をまったく新しく塗り変えてしまうくらいの衝撃だった。なんで自分はあんなにパパやママのことばかり考えてきたのだろう。
「私は、もう、だれの役にも立たなくていいんだ」
全世界に向かって叫びたかった。
自分が今まで、どんなにそのことにがんじがらめになっていたのか、たった今、気づいた。』

父や母を「別個の人間」だとしみじみ感じること。それは当然ですが、とても難しいことだと思います。特に今の日本のような家族の認識では。



共依存、互いに甘え合う、察しあう、役に立ち合うことで存在の価値を認識することが横行しているような場合には。
そういう中でいきなりあなたとわたしは”他人”と認識することは「隙間風ふくようなさびしさ」を感じることでしょう。(感情過敏)

私は、小さいころ「私の名前は、”お姉ちゃん”じゃない。”もり”と呼ばないと返事をしない。」と両親に宣言したことがあります。軽く流され、ばかにされてなかったことになりましたし、そういった約束・私にとっての重大事項が重視されることはほぼありませんでしたが、私にしてみればとても嫌なことでした。

私は”もり”としては”いらない”んだ。欲しいのは”お姉ちゃん”としてのいい子だけ。

と思いました。
呼び名というのは軽いようで重く、口にすることばというのは言霊があるんだなあと思います。

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最後には、照美の両親も照美や純を「帰ってきてくれてよかった」「もう子どもを失うのはまっぴら」と宣言し、抱きしめます。そして照美は母を抱きしめ返します。

しかし、それは「子どもとして」ではなく、「抱きしめてもらえなかったさっちゃんに」「本当は抱きしめたかった(?)さっちゃんの母からの仮託として」でした。

さびしく思いながらも、照美は自分を確立し、家族も「こうすればよかった」をやり直しました。

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物語ですから、うまく「ハッピーエンド」のように仕立ててありますが、それでもこれには「照美の母への決別(あきらめ)」が必要でした。

人はそれぞれ別の人間である。

これは、全ての家族にあてはまるわけではありません。徹底的に抗戦するような場合もあるでしょう。
ただ、いわゆる「やさしい虐待」と呼ばれるケースでは、照美のようなパターンおよびもう少し悲惨な形での「あきらめ」がよくあるのではないかと思います。

※それは許し、ではありませんし、あきらめがいいとも許しがいいとも恨みがいいとも思いません。ただただ、「私は傷ついた」という認識が一番正しく、その自分を癒やし、育て、幸せにすることができればいいのだと思います。


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うまくまとまりませんでしたが…色々な要素のある『裏庭」、とてもおもしろいです。
梨木香歩の作品は、植物を使ったものごとや人の死、生き方、こどものこころ、ことばの扱いのやわらかさが美しく、好きです。

特に「言葉を扱う」という部分でおすすめは『りかさん』。怖いけど、おすすめです。