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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

ことばをつかまえろ! - 車酔い-  精確版

「乗り物酔い」ってどんな意味

私は自閉スペクトラム症(以降ASD)であり、感覚の過敏や鈍麻をもっています。

しかし、先日「感覚鈍麻」せいで「よく理解できない」と感じていた「乗り物酔い」の「言葉の意味」について、意味を捕まえることに成功したところ、乗り物酔い・体調不良に関しては、鈍麻もさることながら「社会性・想像力」の凹みによって捉えづらくなっていたことがわかりました。

もしかしたら、表出する症状に隠れて、別の特性要因がひそんでいる当事者が、たくさんいるのではないでしょうか。
そんな当事者に向けて、今回の私の事例をお伝えします。
もしかしたら、「困っている」と感じていること以外の特性に対する働きかけで、おもわぬ解決がみえることがあるかもしれません。「ちがう」とじぶんでどんなに確信していることも、誤解かもしれません。自己理解と他者(たとえ定型のひとでも、です)理解は表裏一体である場合もあります。気持ちが落ち着いている時に、読んでいただき、生活がらくになる人がいることを願っています。

ASDは”累乗の障害”

ASDについて調べると、まず出てくるのが「ウィングの三つ組」です。これは、ASDの核をなす障害特性が「想像力・コミュニケーション・社会性」の3つである、というもので、ウィングが提唱した自閉症の概念です。現在のASD診断基準にも、ウィングの三つ組が反映されています。(※私自身は、これが自閉症の核だという考え方とは異なる考え方もある、と提案していますが、ウィングの三つ組も正しい、とかんがえており、今回の説明にふさわしい例として、俎上にのせております)

そして、ASDの困難というのは、この三つ組を個々に抱えているわけではなく、特性が相互に影響し合い、強化したり、打ち消したり、一見別の要因にも思えるような様態が、外見上ではあらわれる点であり、ここから、「自閉症は累乗の障害である」と考えられています。

「乗り物酔い」、外見上のわたし

さて今回は先述をふまえ、最近わたしが”理解した”「(乗り物)酔い」という言葉について述べてゆこうと思います。

わたしは、おそらく外見上「乗り物酔いしていない」ふうに見えます。

ところが、わたしは2014年12月、24年生きてきてはじめて、「自分は乗り物酔いをする」ことを認識し、「乗り物酔い」ということばの意味を知ったのです。

理解するということと、わたしの特性

私は、ASDのなかでも、IQが高く、かつ言語能力(言語性IQ)にも凹みのない、いわゆるアスペルガータイプです。

さらに、自然言語、なかでも母語である日本語に関するこだわりが非常に強く、若干の共感覚をもっています(文字およびことばに色や動き、手ざわり等を感じます。他人はそうでないと知ったのは23歳の冬です。)。

そのため、”言語理解”に関しては、自分ではあまり問題だと認識していませんでした。

たいていの言葉(文字でも文章でも)は、共感覚から推測したり、知識をもっているため、流暢に意味を説明できます。むしろ一般の定型発達の人よりも言語は理解している、と思っていたのです。さらに、説明はことばだけでなく、五感、とくに視覚的な説明をすることもできます。

そして、「乗り物酔い」という言葉についての大まかな私の理解は、次の図でした(視覚的な認識をしていて、図とのマッチングでおぼえていました。言葉に変換することも可能ですが、感覚的には視覚優位の入出力、記憶法だと思っています。)


図1 吐く人
※あくまで大切な要素を抽出したイメージで、実際の私の頭の中の画像とは異なるものです。


シチュエーション=背景画像は「船」「電車」「バス」等複数枚ありますが、とにかく

乗り物に乗ったら、嘔吐してしまうこと

を乗り物酔いだと認識していたのです。
この図にピタリと当てはまれば、「乗り物に酔う」という言葉が適用される、と思っていました。


「うん、あってる」とお思いになるかもしれません。
では、次のような症状が、乗り物に乗ったために起こった場合、先の図に当てはまるでしょうか?

a 少し胃がむかつくが、吐くほどではない
b 頭痛や目まいがするが、まだ倒れたりはしない
c 食欲がない
d 気分が悪い

a~dまでを図におこすと、次のような感じでしょうか。

キャプション:図2 気分の悪い人
※あくまで大切な要素を抽出したイメージで、実際の私の頭の中の画像とは異なるものです。
*わかりやすくするためにフキダシを入れた図を作成しましたが、もちろん現実にはこんなものはありません。


さて、おわかりいただけましたか?
図1と図2は、ピッタリ重なるわけがありませんよね。

ゆえにわたしは、a~dのような症状があると感じても、「乗り物酔いではない」し、「我慢するべきで、みんな我慢しているんだ、酔った、と主張する人は、嘔吐しそうなほどつらいんだ」と思っていたのです。

生きるために必要な「ことばの理解」とはどういうものか

さて、わたしの「酔う」の理解は足りていませんでした。しかし先日、知りあいとの会話でa~dも「酔う」という言葉(現象)に含まれる、ということがわかりました。さらに幸運なことに、その会話である友人が「もう我慢しないでいいんですよ(笑)」(半分、ギャグも含まれますが)と言ってくれたのです。
これで私は、「酔う」ということばだけでなく、(1)自分に納得のいく説明 、くわえて、(2)定型多数の社会における「酔う」の主張方法 =これは、言語化された空気の読み方ですね。 (3)「我慢しない=主観を主張できる」という「程度=どこまで?」についての、「じぶんが不快なら程度は問われない」という安心感 を得たのです。
すなわち、わたしがことばを扱うときに必要だと思っていたのは(1)のみで、わたしが社会で快適に生き、感覚過敏や感覚鈍磨をらくにするために本当に必要だったのは(2)、そして(3)なのでありました。そして、定型発達者は、「意味」ということばに、無意識のうちにこれらすべてをふくめつつも、「意味」の意味を説明するときには、それらは「空気」として扱ってしまう(無意識なので仕方がありませんね)。だから、われわれASD者は、それを読めず、困難を大きくする結果となっているのかもしれません。

まとめ


まとめとして上図に起こしてみました。
結局、自分では自覚できない部分の障害を、どうしてゆくのか?
自覚できないってことは、困っていないのか?本当は困っているのか?
わからないけれど、とにかく毎日発見して、研究するのは面白いです。

どうやらわたしは自分で思っているより「言葉」の知識が偏っているし、「社会性」に至っては壊滅的なのかもしれません。
うまく環境やかかわる人を選べたために気がつかなかったのか、どういうことなのか、わかりませんが、「仕事」をする上で、はじめて表面化した問題がとても多く、
どうして教えてくれなかったんだろう?
がとても多い気がします。
「 酔う」ということばひとつとっても、小学校では「気持ち悪いです」、と朝、気分の悪い子が報告していたのを思い出します。私は、「気持ち悪い」が何かわからなくて、病院送りになるまで自他共に認識できずに「ちゃんと言え!」怒られていた。おとなになっても、友人に「体調管理しろ!どうしてわからないんだ、ありえない。」と言われてきた。うーん、むずかしい!



このあたりからはボヤキですが
どうせ道徳をやるなら、「人の気持ちを考えよう」うんぬん、じゃなくて、
「なぜ考えるべきなのか?」
「大抵の人間が不快になる言葉集」
とか、マニュアルにすればいいのに。
多様性を認める、ということは、反対のことのようだけれど、「ルールで動く・それ以上でもそれ以下でもない」ということではないのだろうか?全ての人にやってほしい(と無意識に定型発達者が望む)事柄は、明らかにしてほしいなあ、とおもうのでした。
空気の存在を認識できなくてもそれに自動で従ってしまう人々には、むしろこれがむずかしいのだろうなあ。私たちはその逆がむずかしいのです。私はあなた方を否定していません。どうにか歩み寄りたいのです。そして各個人でそこそこ幸せになりたいのです。