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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

ことばをつかまえろ! -autism- 精確版

 autism

これを命名した人々の意図は、

autism とはラテン語 aut = self = 自身
というところからきており、すなわち self-ism, 自己‐主義ということであり、自分中心(の 思考をもつ人々;コミュニケーション・社会性の障害)というところからの命名であるらしい。 これは、一般に自閉症スペクトラムにいわれる「(ウィングの)三ツ組の障害」や「心の理論」 における 共感 想像力 の部分からくるものであろう。

参考画像:自閉症の三つ組(ウィングの三つ組) たとえばそれは「サリーとアンの課題」において、 autism 者は自分の立場をサリー/アンの立 場と区別し、サリー/アンそれぞれの立場を想像することに困難を抱えることを、「心の理論」が形成されていない、すなわち、他者に共感・他者(の考えや感情等、自分とは異なる生きも の・思考するものの方法)を想像することについての障害、つまるところ、コミュニケーショ ンの障害、というところになるのであろう。
これはもちろん、私も正しいと思える。

まさにその通り、これが、autism 診断基準となっているのだから、これを否定することは、「今、 なんとなくではあるが専門家あるいは一般に認知されている自閉スペクトラムの概念として、 のそれ」ではないものを、新たに「自閉スペクトラム」として提案するという、まったく別の 議論であって、これを正しくないとすることは今回の文章では行わないことにするのは、この理由による。

しかしその一方で、昨今では”おとなの発達障害”にも注目が集まっており、中でも診断・当 事者および非当事者が存在を認知しづらいのが自閉スペクトラムであるように感じる(AD/HD、 ADD 等と比較して、外から障害と健常を区別しにくいのである。単なる(ここでいう「単なる」は、「脳の障害」ではなく、「性格傾向」である、というだけであって、診断基準に言及するつ もりも、ASD とは診断されない・または ASDではないが、困り感を抱えるひとびとのしんどさ・つらさを軽んじるつもりはまったくない。)”コミュ障”なのか、それとも?という具合に。おとなの場合、知的に問題がない、または知的に高い水準を示す(あくまでIQ上、いわゆる「学業成績」において)こともよくあるために、それがautism であることの特性(発達の凹み部分) を学習で補ってしまい、見えにくくなっているのだ。 しかしながら、そういった場合も当事者の苦しみが消えるわけではなく、むしろ理解されないことによる二次障害や社会適応は深刻 になり、苦しみはありあまるものである。 また、診断された当事者の主張を鑑みるに(筆者自身が当事者であるため、主張に偏りが存在 することをあらかじめ断っておく。また、ここでいう”当事者の主張”とは筆者が autism 者のブログ・twitter、著書を読んで傾向を読み取ったものである)autism者に”共感”や”心の理論”が存在しないわけでも育たないわけでもなく、けれども彼らの多くが定型一般にとってそのように見えるのは、単に認知(入力)および表現(出力)メカニズムの差異によるものであ ると考えている。(※twitter では#asp あるある等といったものがあったり、彼ら自身がそうい った表現活動を行ったり、仲間どうしで会話し、苦しさを分かちあうような活動も見られるわ けで、これは明らかに他者との交流や共感する/される関係・自己理解をもとめる行為であり、彼らが個人で”閉じて”いるばかりではないのである)(参考:田中真里・文「ひととひととのコミュニケーションとは」)
さらに、診断については、(診断といえども「社会」をより効率よくまわす、経済を循環させる いとなみのひとつであるから、当然といえば当然のこと)主に「コミュニケーション」におけ る難が問題とされるわけだが、実際には彼らの困りごととしては「感覚過敏/鈍麻」というのが 深刻に存在する。むしろ、これがために社会生活におけるコミュニケーションの困難が生じて いる場合も多いのである。
そして、これら全体を総合しまた現在主流になっている ASD の解釈というのは「入力・認知と 出力・表現のメカニズム」が定型一般と異なる、というものであろうと筆者は推測している。


筆者自身も、これが現状、もっとも ASD 者の困難をまとめた表現であるようにも思える。 しかし、それにさらに筆者は、「入力・認知 および 出力・表現」がどのように異なるのか? という点を含めた表現をしたい。さらに、それについて、外側=定型者の定めたautism という 表現も重ねて、autism ということば、そしてautismという障害そのものの核をとらえたいので ある。
その”核”についての現時点での筆者の考察を記す。

これが、私の考える「自閉」の核である。
ゆえに、autism とは、autism ソノモノ、autism-disorder、自動の障害、というわけで名前が 記すとおりの概念、という一目瞭然の整理ができ、また筆者の困り感・言語感覚的なこだわり と一致する。

もういちど整理すると、autism とは

通常ヒトの入出力機能においては自動に備わっているはずの機能が備わっておらず、マ ニュアル=手動で働かせねばならない、という困難を、障害として診断した概念

となる。
ただし、どの部分が auto で、どの部分がどの程度 manual かというのは、個々人によって異なる。

というのが、autism の本質であって、これに autism とは本来関係のない個性や、育ち影響、知能等が加わるのである。 ただ、似た性質の者が受ける外的影響というのは比較的類似してくるために、それらが外的要 因まで含めて、何となく、いわゆる、”アスペっぽい”像が形成されているのだろう。
また、彼らの抱える困難は、比較的コミュニケーション場面で顕著に発現する場合が多く、出 力については、入力の難ゆえのものであることも多い。