pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

カウンセリング13B :人間関係の弱さ

先回の記事の続きです。

男性関係(人間関係)と言葉遊び

カウンセリングメモの一部として「男性関係で意図せず思わせぶりにしてしまう場合がある(何回か揉めた)」ことを提出しました。
また、現在はすでに鎮静しましたが、最近も少し揉めた点についても。

心理士さんより「これはあなたにとっては侵入に値する経験で、怖いだろう。危険もあるので、詳しく聞きましょう」ということになりました。
確かに、今まで大事にならなかったのはひとえに「運が良かったから」としか言いようがありません。

これまで「嫌だ」「怖い」と感じたアプローチ


高校生。メールでは普通に楽しめていたのだが、よくわからないうちに「付き合おう」「付き合ってくれるなら観覧車に乗ろう」みたいなよくわからないことを言われ始めた。意味がわからないし気持ちが悪かった。直接的に「付き合おう」と言われたことはなく

メール:「次の定期テストで僕が勝ったら付き合おう(私は学年トップ争いをしており、彼は普通か普通より下の成績である。勝てるわけがない。)」「いや、やっぱり冗談。もっとちゃんと言うよ…(勝手にしてくれ)」「あれ、なんか察した?(察しねーよ!察してなんかやんねーよ!)」「カップルだと無料で乗れる観覧車が有るんだけど、一緒にカップルのふりして乗ってくれない?待ってるから(重い女か!)」「(行かなかったら)観覧車、キレイだったよ(重い女だ…)」

などというメッセージを受信。
「自分から誘うような意気地はないが、私が乗って来る自信はある。察して告白してきてほしい」というオーラがばんばん出てきて気持ちが悪かった。私はただメールの文面で遊んでいただけだったのである。「人間関係」についてなんて考えてもいないし、相手の気持ちが、こういうメールを受信・およびこっちへのベクトルがにじみ出ているのを感じるまで、全く分からなかったし、考えようとも思わなかったと思う(考えているつもりではあった。自分でもつめたい人間だと思うが、冷たいだけじゃない)。


大学生。ある委員会の集まりでちょっとハブられ気味の男の子がいた。私は「さびしさ」「恥」に敏感である。いたたまれなくなってしまう。テレビなどでも、そういう場面は観られないのである。単に、そういう自分のいたたまれなさを補うためであって、これはやさしさではないのだろう。でも、そういうことは意識しないで、つい横に並んで歩いたり、話しかけられたことに必死に笑顔を見せて応じたり、周りにその人の話をつなげようとしたりしてしまう。やさしさまたは好意に見えるだろう。
いつからか彼は私に帰り道に無理やり自分の通学路を合わせて、ぴったりついてくるようになる。そして電車の15分間、ずっと「自分は人間関係にトラウマがある。否定されるのが怖い。」という旨の話をし続けてくる。私は彼を拒否することができなくなる。
そうして数ヶ月帰り道についてこられる。
結局避け続けていたがもう限界なので告白の誘いに応じる。とにかく衆人環境を確保するために学食以外の場所は拒否し、学食で告白させる。そして拒否した。
彼は学校を休むようになった。知ったことではない。彼は私にとって全く興味の持てない人間であったためだ。メールすらほとんどしなかった。
数ヶ月してまた連絡があり、手紙を渡される。気持ちが悪いし、期待されたら困るのでその場で破って捨てるところまでを本人に見せる。「受け取りました。でも、読みません。」と言う。

大学生。ともだちだったのに、なんだかベクトルが変わってきて、「気持ち悪い雰囲気」が出てくるようになった。連絡を断つ。

友達だったし、自分でも面白くその人で遊んでいたので、付き合ったが、やっぱりこっちに向かうベクトルが怖くて気持ちが悪くてダメ。完全に私の落ち度である。


大学生。ネット上での言葉のやり取り。私はその人の発する言葉で言葉遊びをしていた。
たとえば「ちゅっちゅ」という言葉をもらえば「ちゅっ」と返すことは、私にとってキスでも何でもないのである。ただのゲームである。言葉のあやとり。言葉のキラキラ。そういうものである。
でもどうも本当は言葉というのはそういうものではないらしい。よくわからないけれど。そうして「全身舐め回したい」「口中犯したい」などの物騒なメッセージが来るようになったのでとても怖くてシャットアウト。


社会人。合意のもとで付き合ったが、よく考えると経済的に自立していない寂しさをわたしで埋めていたのかもしれない。就活がうまくいかないときに、社会人をしていた私がしんどそうな状態。毎週家にいた。「主婦になろうよ〜」などが口癖。都合よく依存関係に持ち込まれたあげく、相手が経済的に自立したらすぐに捨てられたのかもしれない。最終的に「もうあなたの面倒は見きれない」と言われる。面倒を見てあげていると思っていたらしい。確かにわたしも「面倒を見てもらっている」と思っていたし、それが楽だった。私はどちらかというと「恋人」ではなく「面倒を見てくれる人」がほしいのかもしれない。いい関係ではあったし、悪いものではなかった。よき理解者であった。でも、共依存的側面は否めない。


現在。「3」の続きである。解決済み。
現在すぎるので詳細書かず。

お兄ちゃん欲・さびしさへの同化・言葉が含む「気持ちやりとり」の弱さ

上記のような事があった。他にも多少はあったが、まあそれは普通の範囲内だろうと思う。私の弱い部分がトラブルを招いたと思われる経験だけを抽出した。だが、正直なところほぼこれが全てである。トラブルしかない。そして私の気持ちがわからない。「好き」というのは難しい。

上記を考えるに、見出しに示した

①お兄ちゃん欲:面倒見の良い・頭のいい(自分と話が合う)人に面倒をみてもらいたい、甘えたい欲求。長女(家族関係)由来か。私の家族は少々機能不全だとやはり思う。
わたしの言葉遊びに付き合ってくれる人はあまりいない。聞いてくれても理解できる人はあまりいない。(今はわりとインターネットがあるので心地よい)
私の家族の絵です。こんなもの描きたくないので、殴り書き…

さびしさへの同化:自他区分の問題および常にある居心地の悪さ由来?「お兄ちゃん欲」も同根と思われる。
③言葉が含む「気持ちのやりとり」の弱さ:言葉や論理への強さにたいして「気持ち」がほとんど赤ちゃんという凸凹からくる問題。言語理解はできている(よく発達障害者でわからない、といわれる比喩表現も完全に分かる)が、そこに含まれる気持ちの理解に偏り。気持ちより面白さや興味の衝動が優先。「人と遊んでいる」というよりは「その人の知識や教養・言葉遣いおよび体と遊んでいる」という方が正確。

の3点が大きく問題だろうと自分では思考した。

この問題はまだカウンセリング及び観察(今後も注視が必要との心理士さん判断)を続けるため、今回はここまで。