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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

カウンセリング9A 自信があるように見えるのは

カウンセリングでした。

本当にメモリに余裕がなくて、この記事に「頭ぎゅーん」「不器用」とメモ(殴り書き)したものをとりあえず印刷して持っていくのが精一杯でした。

注目して話をしたのは2つです。

1つは新しい仕事はどうか、ということ。もう1つはTwitterについて。

新しい仕事について−外見と中身の乖離(高機能のしんどさ)

これは、「どうか」と聞かれてもよくわからなかったので、「よくわからない。職場で仕事をしているときに自分が目にする映像が流れるだけで、ただその事実がそんざいするだけで、どうということはわからない。」と、仕事の動きをしながら答えました。

「それは落ち込んでいる、自信を失っている、っていことじゃないかな」とのこと。
ピンと来ませんでした。
「感情を感じにくいんだね」と言われました。
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今思うこととしては、「感情を感じてはいるけれど、認識=意識の舞台に乗せ、言葉でラベリング=みなに分かるように一般的表現をすること、が難しい」のだろう、ということです。


イメージ図です。

脳が入力情報を処理し、適宜出力命令を出すおおもとです。
その中に、分類部隊やラベリング部隊がおります。
分類された情報達はそれぞれ

「短期記憶フォルダ?長期記憶フォルダ?」
「そのまま保存?圧縮する?」
「関連付けする?」
「どんな名前をつける?」

というような処理の部隊に回されます。

そのような処理をするわけですが、脳はこういったことを一時メモリを使って入ってくる情報を瞬時に処理しているので、全ての情報を平等に大事に処理しているわけではありません。

たとえば「毎日見ている風景」は、脳が「いつものだからクリックしなくていいっす。変わってるとこだけ見つけといて〜」となるわけです。ま、だからわりかし見落とすわけです。
こういうところに余計にメモリを掛けてしまう結果「いつもと違うと怒る」ということがあるかもしれません。また、ここにメモリをかけないようにするために「いつもと違うと怒る」可能性もあります。私は後者だと思っています(別回路を圧迫するのでパンクしやすくなる)。

そこで、おそらく通常はここの「圧縮」や「優先順つけ」が、社会生活を送るのに有利になるようにはたらくのでしょう。ある程度訓練はできれど、脳の機能ですから、それは無意識ですし、訓練で必ず思い通りになるなんてことはないと思います。
人間は群れで、感情のやり取りを通じて「群れとして」認め合う生き物ですから、「感情」や「同じ生き物情報」が優先的に処理されます。
それで残った「余分なメモリ」の余力を、別の部分に回します。
結果、「画像の記憶」なんかはたいてい圧縮されるのですね。
学校生活で言えば「友達の名前と顔」は全部そのまま飲み込み、長期記憶・すぐ出せるフォルダに、「勉強」が圧縮して「テストの時だけでいいっす」フォルダに(で、思い出せない)入れられるような感じです。

ところが、非定型発達の私は、おそらくこの仕組ではないのですね。
また、無意識に大きく影響するであろう「興味・関心」においても非定型。
ゆえに、「優先順位付け」や「圧縮」が多数派とずれてきます。
私は人間ですが、群れで生きる生き物ではないようです。また、「意味」「事実」「分析」といった事柄につよく惹かれ、安心する(※これは「記憶」の方法が関連している)傾向があるようです。

※この画像の記事参照のこと。

そのために、生きる上で大切な「感情や体調の理解」部分がとても苦手なのだろう。
事実やはっきりした映像の方がなぜだか優先度が高く、また「はっきりしていてわかりやすい」のです。そして圧縮率が(おそらく)低い。
その分、「人の顔と名前の一致」や「感情のラベリング」に使うメモリが圧迫されます。

また「ラベリング能力」そのものが全体にとても低い。
そのために「画像は画像のママ」認識するしかなかったり、「姿のない」感情、「基準のない」体調、といったものは非常に認識しづらく、意識の舞台にすら乗せられない。

そういう感じが、私の頭のなかで 起こっている ような気がします。

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上記を発見したのは「感情を感じにくい」ということからのフラッシュ思考です。
そして、そこからさらに発見したことが、タイトル

自信があるように見える
ベテランに見える
度胸がある(ように見える)

です。
なぜなら「なにかしないと」と思ったら、その完成図ははっきりわかるものです(完璧にすればするほど完成図に近いため、完璧主義の要因でもあったり)。けれども、それにともなう感情や体調はよくわからない。
ゆえに「とにかくやる」という事実=完成図を現実にするためにはたらきます。がむしゃらにはたらきます。


その結果が「働いているもりさんは鬼気迫る感じが怖い」「厳しい」「一年目には見えない安定感」「度胸がある」エトセトラ、エトセトラ…

という評価になります。

けれども実は「ラベリングされない、意識に上らない自信の無さや自己否定、しんどさ」はたまっていきます。
そして、閾値を超えた順に、体の一部やパニックとなってあらわれる。

うーん。どうしたものかなあ。
という感じです。

とはいえこれを書ききったことですこし落ち着きました。

長くなったので、二つ目の「Twitterについて」は別記事にします。