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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉症スペクトラム。 わわわアール・ブリュット作家です。

カウンセリング9B  Twitterより2つ

カウンセリング ASD 病院
さて前回の続きです。

外見と中身の乖離2−Twitterより


前前回の記事につけていたログメモです。

これを見て心理士さんが2つのことを指摘してくれました。

Twitterでつぶやくことがあなたには相性が良いのだろう
・WAISや学歴と困り感との差があり、「できるんだよ、でもさあ」感が強く、うまくそれを周りとチューニングできなくてしんどいのではないか(つぶやきの内容より)

ということです。

Twitterとの相性の良さ−私のフラッシュアイデア

まず前者ですが、まさにそうだと思います。
Twitterは私にとってアイデアを微妙に受けつつも自分の思考をそのままバンバン記録して忘れないように外部化するのに一番「フラッシュアイデアを早くたくさん記録できる」手っ取り早くすぐれたツールになっています。
そこからブログになるまで考えが増えたり深まったりすることも多いです。

私の頭の中は足の踏み場もないほど散らかっており、思いつきや入ってきた情報(例のごとくラベリングが苦手でかさばる)が散乱しています。
川の流れ、流星群、樹形図、オーケストラ…そんな感じに、ときに独立に、ときに影響し合いながらそこらに飛び交っています。

しかし、それは「流れ星」「フラッシュ」であり、すぐに消えてしまって「あっ」と思ってもしっぽをつかむのは大変です。

口は1つしかないし、声はすぐに消えてしまいます。また聴覚はあまり優位でなく、言葉の表現をしないといけない分、処理が遅く、またラベリングすることで劣化します。

メモは絵を描くことができ、自由度が高いです。速度以外の面で非常にすぐれています。

そして、「量を記憶する」ことに一番優れているのがTwitterです。

ゆえに私は主にTwitterとメモ帳・そして時々音声や別のメモ等のツールを使って、フラッシュを記憶します。忘れてしまうのは少し怖いような、だめなことのような気がします。「理解したい」「表したい」「記録して手元に置き、参照できるようにしたい」欲求が強いです。本を「買いたい」(借りるのではなく)と思うのもこのためかもしれません。


フラッシュアイデアについて考えていたら出てきたイメージ。
流星群を全て捉えて記憶しよう、そして処理して吐き出して正しい名前をつけて箱に入れたい、という欲求。

結果と困り感の乖離

さて二つ目ですが、私はFIQや学歴を見る限り「大丈夫」な人です。
むしろ「優秀じゃん、なに甘えてるん」という感想を抱かれてもなにも驚きません。

けれども、「できてしまうけれど、でも・・・というところなのです。」
これは、前回の記事における「しんどさを感じにくく、事実や目的優先になりがちで、無理にやって、できてしまう」部分がからんでいます。

前回は上記についての「原因システム推測」をしました。

今回は、それが「どんな感じか」表現してみようと思います。

それは以前記事にした「キャパシティのコップ」で説明できます。


前の記事では主に感覚を受容する能力に関して、コップを使いました。
これはその他の能力に関しても使えます。

*****

Aさんは小さいけれど丈夫でスペアもあり、よく販売されているコップをもっています。水は水道水で、調整がセンサー式でらくらくです。
Bさんは大きいけれど割れやすくて、扱いにくく、あまり販売されていないコップを持っています。水は津波になって押し寄せてきたり、日照りでまったく来なかったり不安定です。

互いに相手のコップや水の出方は見えません。
見えるのは結果だけです。

コップに入る水が「能力・結果」です。

AさんはBさんがくんできた水をみて「Bさんすごい!よくできるんだな」と思います。
Bさんも「あれ?私ってちょっと水たくさん汲めるのかな」と思います。

でも、ずっと使っていると、Bさんはへとへとになるし、コップも水漏れしてきます。日照りだってあります。

そうすると、Aさんは「Bさんはあんなによくできるのに、なんでやらないんだ!さぼっている」と思います。Bさんも「自分はだめなやつだ」と思います。

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あるときBさんは「あなたはコップが多数派さんと違うのね。水もちがうのね。」と言われます。(診断)また、コップにはるテープ(薬)や、雨乞いの儀式、大きいコップを運ぶグッズなどの情報・グッズそのものを得られます。

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けれどAさんには「環境が違うという情報(発達障害の存在)」は理解できても「(実際にコップを取り替えて)しんどさを体験する」ことはできません。

そしてやっぱり
「コップが違う人は天才だ!」
「やりようによってはすごいことができる」
「でも見た目は普通だけどなあ」

なんていう見方も多いです。

*****

と、こんな感じでしょうか?
さて、こんなBさんです。

「つらいんだね」「かわいそう」「でもすごいね」などなど…
→「うん、そうなんだよ、でも〜」

こんなふうになっちゃうの、なんとなくわかりますか?

私はこんなイメージを「見た目と困り感の乖離」として説明しました。
実際にはその場でなので落書きと指差しぐらいでしたが。
次にはこの記事を持って行こうと思います。

慌てていたのでブログの痕跡が明らかだったらしく「この文章どこかに公開しているの?」とばれました。かまいませんが、なんとなく恥ずかしい!笑

診察は変わらず。いつものお薬がでました。
コーヒーを持って入ったことで「カフェイン中毒なんです」という話になり、「発達さんはコーヒー好きな人多いね、脳の働きが変わるみたいだね」「はい、覚醒します」なんてやりとりをしました。ちょっとおもしろかったので、次回はグミずっと噛んでいるのが好きなことでも言ってみようかな、おぼえていたら。と思います。