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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉症スペクトラム。 わわわアール・ブリュット作家です。

タタリ神なんかになりたくない

日々 ASD


わたしはテレビを必要以上に見ないようにしています。
「録画」「Eテレ」「CMだけ丸暗記して即時エコラリア」」が私のテレビの楽しみ方です。

それというのも、テレビを見ると

・理不尽な場面
・キャラクターとして強いことを言う人
・誰かが恥をかく場面

が出てきます。

それに対して、本当にいたたまれなくなってしばらくつらい気持ちが続いたり、その場に居られなくなってしまったりします。
また自分の考えと違うことや、激しいものいいに対して本気怒ってしまい、口から反論や暴言が止められなくなってしまい、心身ともに疲弊してしまうことも非常に多いです。

テレビ以外の刺激でも、ふと入った刺激から連想して怒りが止まらなくなったり、過去のことを思い出してどうにもならなくなったり(本当はその場面に舞い戻ってそこで怒りちらしたいのだけれど、そんなことできません)。

それが一番顕著なのが、「テレビ」で、一番刺激をカットしやすいのも「テレビ」です。

必要なニュースは別の方法でチェックすることも出来ます。

インターネットや新聞の場合、文字情報だけで書かれたニュースを選ぶことで、余計な刺激をカットして自分に「別の立場からの想像力」「自他分離」をうながします。また必要な部分だけを取り出して情報をいれることも比較的容易です。

私は文字の情報に強いので、こういうことが可能です。

ここで言う「強い」とは、「客観的な目線を保てる」という意味での強さです。
むしろ視覚優位で、画像理解のほうが上手の傾向があるのですが、それゆえに強く影響を受けてしまいます。
ただこれは、どちらも強く存在し、一概に「どっちが」とも言い切れません。
例えばストーリーは、絵で示されると「察する」部分が増えて(これは同じ事実を表すのに、情報量がふえるとも、減るとも捉えられますね。面白い。)、全然わからないのに、文章ならば100点、それ以上がとれるようです(ただし100点がとれるから、社会でうまくやれる、空気が読める、というわけでもないようで)。とても不思議です。(サリーとアンの課題は、イラストで示されると意味がわかりませんが、文章で示されるとあまりにも簡単だと思うために、「あれ?私って自閉症スペクトラムじゃないんじゃないの?」と思ったり。)

またテレビは「情報そのもの」以外に付随するものが多いので、処理オーバーして特性が出てしまうのだろうとも推測します。情報のみを書かれたニュースにおいては、「感情のこもった言葉」というのも少ないです。私は視覚優位ではありますが、言葉に対する過敏さも併せ持っているので、言葉にも「視覚よりは強い、とはいえ平均よりかなり弱い」です。ですから、そういった言葉が頭にたまればたまるほど、つらいことになり、パニック(メルトダウン)の原因となります(→参考)。

情報を精査して、思考を止めないで(これを止めたたら私は死んでしまうと思う。)、マイナスの感情に飲み込まれないように、進みたいものです。

 

ちなみにタイトルは、ここ2週間ほど、延々と「もののけ姫」を見続けているからです。
けれども、「マイナスの感情に飲み込まれてしまっている」状態を、あのタタリ神はとてもうまく表しているなあと思います。
下手に触れると呪いを受けるところ、うまく距離感を保って沈めなければならないこと、同情すると取り込まれるところ・・・どろどろしているところ・・・「賢しらに少しの不運を見せびらかすな」というのも刺さります。
そういえば、私の父も、ハマると延々とそれを繰り返す傾向があり、現在は「韓国の歴史ドラマ」を延々と見ています。遺伝を感じます。