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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

バスがこわい

どうしてだか、バスがこわい


バスがこわいです。
なぜかこわいです。

今は、自家用車で通勤しています。

ところが、最近通達が出まして、将来的にバスないしは電車等の公共交通機関を使って通勤しなくてはならない(そのほうが望ましい)かもしれなくなりました。
そのための通勤手段調査を書いて、提出しなくてはならないようです。

その通達を読んだ瞬間から今まで、けっこうぴりぴりドキドキ、不安な日々を過ごしています。

まだ確定もしていない、それも、かなり先(何年も先)の話なのに、です。


不確定要素の多いものは、こわい


さて、なぜかこわい、と書きましたが、おそらく理由は上記です。
ただし、「なぜかこわい」というのも、嘘とも言いきれません。パニック状態で、とにかくなぜかこわい!と頭がわーっとしてしまうのも本当だからです。

わたしがなんとなくの感覚で、「バスがこわいのとおなじだ」と思うことを書き出すと、以下のようになります。

・遅刻すること
・失敗すること
・たくさんの人と関わって、調整しないといけないこと
・1日にたくさんの予定が入ること
・乗り物の、乗り換え
・宿などを予約すること
・就職活動
・たくさんのものの中から、選ぶこと

不確定な要素が多かったり、複数の要素が絡んでいて、それぞれが影響し合って幾通りもの結果を産んだりすることが、こわいようなのです。
すべての結果や不確定要素を把握しないと、安心できないのです。

一方、「バス」に似ているもので、「あまりこわくない」ものもあります。それが、「名古屋市営地下鉄」です。「JR」や「大阪の地下鉄」のような、それに近い交通機関もあるのですが、それらは「こわい」です。
名古屋市営地下鉄」の路線図と、どの路線は何分間隔で電車が来るか、どのくらいの頻度で遅れたりするか(頻度は低い)、ということは、一枚の図で把握しているのですが、それ以外の交通機関は、「知らない」「複雑すぎる」等の理由で把握できないためだろうと思います。
また、「バス」を使うことであっても、「いつ到着してもかまわない用事」の場合には、「こわくなく」なります。「不確定」ではなくなるのです。「ぜんぶ、いつでもいい」というのは、ある意味私にとっては「確定」だし、「安心」なのです。

こんなものを作っちゃうくらいこわい



さて、通達が出たその日に作ったのがこのような道具です。

①名刺くらいのサイズの一番上に、「会社への公共交通機関での行き方」をパッと見ることができる図を用意。
②その次以降は、そのときに使う路線の時刻表を、使う順およびパターン別に。
③最後に、大きなバスターミナルの俯瞰図。

すべて、ラミネートしてリングにつけました。すでに鞄にいれてあります。通達が出てからは毎日不安なので、持っていることで、すこしだけその暴れる不安をなだめています。

私は、知的には正常域です。
むしろ、こういう作業は得意中の得意です。
調べて、まとめる。

それなのに、いざやろうとすると、「不確定」が襲ってきて、パニックになったり、怒り出してしまったり、泣き出してしまったり、固まってしまったり、するのです。

「できるとわかっているのに、できない」。
自分自身も、周りの人も、苦しいし、意味がわからないです。
「どうしてそんな子どもみたいなだだをこねるの」「失敗したら謝ればいいのよ」
何度も何度もそう言われてきていますが、やっぱりこわいのです。

こういう凸凹を抱えているのです。
発達障害者には「素数を全部言えるのにしゃべれない」といった極端で、わかりやすいために、良くも悪くも”目立つ”凸凹※のある人もいますが、こういうレベルの凸凹だと、本人にすらわかりにくいです(※そういう人が楽だと言っているわけではありません)。本当に、自分でも「わがまま」に見えてしまいます。


完璧であれば、考えなくてもよい


発達障害者が陥る状態として言われるものに「完璧主義」「一番病」というものがあります。
複数の原因が有るかと思いますが、私は、これにも「不確定要素への恐怖」が絡んでいると思っています。

「かんぺき」「いちばん」だと、どうなのか。
それは、「中間で、調整しなくてよい」「複数の失敗要因を、考えなくてよい」
のです。
かんぺきなら、謝るタイミングも声の出し方も人選も考えなくていい。
かんぺきなら、人に嫌がられないように考えながら質問しなくていい。
かんぺきなら、次にどうしたらいいのか考え直したり、余裕のない頭で調べたりしなくていい。

だから、こわくない。とにかく、かんぺきにしないと、私には、そういうことができない。こわい。こわい。

かんぺきじゃないとき、どういうことが起こるか。
かんぺきじゃないとき、どうしたらいいのか。

それは、「かんぺき」より、よほど柔らかすぎるぐにゃぐにゃで曖昧で、そして複雑に、多すぎることなのです。

少しづつ「なぁんだ、大丈夫だ!」を増やす


しかし、やっぱりバスに乗れなかったり、かんぺきじゃないとつらいというのは、不便です。
そこで、ほんとうに少しづつですが、やはり「大丈夫だった、不確定でも、なんとかなった」経験を増やすことも必要です。
また、これも少しづつ、その人のキャパシティの許すかぎりですが「手順的な知識・体に覚えさせる知識」を増やすことも効果があると思います。

この記事で私が作成したカードも、そういうことの一環です。カードという方法を思いつけたことは、今回、大きな収穫です。
そういえば、「発達障害者の鞄はモノが多い」のも、「(究極的には)何が必要になるのか見通しがつかない」不安の軽減でもあります。

いつもおなじ、は、安心するけど、崩れたときが大きすぎる。挑戦したいことが制限されすぎる。
そのバランスをうまく取りながら、いろんな人に助けてもらいながら、安心してできること、過ごせる場所を増やすと、不安が減ってゆくかなあと思います。


「いいんだよ」と「教えてあげて」ほしい


発達障害のある人は、こういう「ちょっとした大丈夫」とか「遅刻したってちょっとくらいへいき」みたいなことが、とても理解しにくいです。
学校や大人は「遅刻はいけない」「失敗はいけない」とよく言います。それは正しいです。
けれど、世の中そればっかりではいけない。
「失敗はこの世の終わりじゃないよ」「ちょっとくらいズルしちゃっても、へいきだよ」なんていうことを、自然に子どもどうしで学べない。
そういう「真面目すぎて死にたくなっちゃう子」がいることもちょっと頭に置きながら、様子をみて、フォローしてもらえると、いいなと思います。


でもこわいので

でもとりあえず、通勤は自家用車を使わせてもらえないか、交渉するつもりです・・・。カードがあったってこわいものはこわいんだよー、通勤するだけでへろへろになっては、仕事ができないよー。