読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

大人用サリーとアン課題を解く

「サリーとアン課題」というのは自閉症発達障害関連のテストとしては有名なもので、幼児・学童期の子どもの「心の理論」が形成されているか判断する・発達障害の傾向を知るツールの1つです。

「心の理論」が形成されていると、「サリー側」「アン側」の両方の立場を「想像」することができます。よって、「(サリーは、アンがビー玉を移動させたことを知らないはず。だから、サリーがまず探すのは)カゴ。」と答えることができます。
「心の理論」が形成されていないと、「自分の立場」以外でものごとを「想像」することが困難になります。よって、「(自分はアンが箱にビー玉を入れたのを見た。だからサリーが探すのも)箱。」と答えてしまう場合があります。

ただしこれは1つのツールでしかなく、これで自閉傾向が「診断」できるわけではありません。
このテストに正しく答えられても、自閉症スペクトラムの診断がつくことはあるということです。
おそらく、私が子どものころ、このテストをしたら、正しく答えていたのではないかと推測します。しかし、私は「広汎性発達障害自閉症スペクトラム)」の診断を受けています。また、そういう子どもは、他にもいるようです。

この問題の大人用というものを見つけたのでやってみました。



大人用のテスト
恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。
恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。「おじさんのためにケーキを作っているの」。
おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。
ここで質問です。気まずいことを言ったのは誰ですか?
また、なぜ気まずいのでしょうか? 
気まずいことを言ったのは「おじさん」です。その理由は「恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてしまうから」です。
ASDの人は、最初の質問で「おじさん」と答えられない。誰も気まずいことを言っていないと答える。つまり、「チーズは苦手」と恵さんに告げることが気まずいとは感じないのです。恵さんの気持ちに立つことができないからです。



こちらが、大人用(以下「チーズケーキ課題」とする。)です。
こんなの、答えられるだろう、と思っていました。
ところが、私はすぐにこれを読んで

「え??気まずいこと、誰も言ってないじゃん。」

と思いました。
おもいっきり外しました。

これはわたしにとっては結構ショックなことでした。なぜなら、今まで人に「お前は空気がよめない」と言われたこともありますし、病院での診断も、WAISも受けているのですが、ここまであからさまに、客観的に「あなた、空気が読めてませんよ」ということをつきつけられたのは、初めてだったからです。

いままで、正直な所どこかで「ま、割りと軽度だし〜」「そこそこ読めてるけど、どうしたらいいかわかんないんだよね〜」くらいに、軽く(?)考えていました。

ところが、この問題の解答に全然納得・共感ができなかったことで、それががつんと壊れて、びっくりしたのです。
「あ、わたし、出来ない子なんだ!」
と。
そして、定型発達の方の場合、この文を読んだ時点で「ヒヤッとするくらい気まずい状況である」ことを感じるということも教えていただき、「え〜〜〜〜っ?!」と思いました。驚きです。
私にしてみれば、まあ仕方がないんんじゃないかな、じゃあおじさんは別のもの食べたらいいんじゃない?くらいの感じです。もちろん恵はおじさんのためにケーキを作ったのでびっくりして悲しくなって頭が真っ白になってしまうかもしれないけれど、まあリサーチ不足でもあるし、それはどうしようもないことでしょう。

だいたい、気まずく思う主体は誰なのかがよくわからないので、何を聞かれているのかもよくわかりません。それに、この文章の登場人物で、気まずいと思っている人がいるんでしょうか?
読んで、「あーあ。残念。」と思う「読み手」が気まずく思う場合がある、というだけではないでしょうか。やっぱりよくわかりません。
これで、「恵さんの気持ちに立つことができない」と言われてしまうとなんだか心外です。恵さんはかなしいかもしれない、でも、しょうがないでしょう?と思います。だから、別に気まずくないのです。それに、気まずい、という言葉の意味もあんまりはっきりしませんね。「いたたまれない」ということでしょうか。「気分がマイナス」というぼんやりした感じで捉えても、一応解答にはたどりつけるので、そこはなんとなく捉えられていればいいということなのでしょう。

そもそも、「主体」とか「意味」とか考えなくても読んだだけで「なんとなく」「ヒヤッと」し、正しく答えられる、つまり、それが「雰囲気がわかる」「空気が読める」ということなのでしょう。確かにそう考えると、とにかく思考しないとダメな私は、「理解はできる・学習はできるから、今まで渡ってきたが、空気は根本的には読めていない・共感できていない」のかもしれません。

ちなみに、後に、国語の問題を解く要領で、「紙に書いて解いたら」解けました(このやり方が得意なのでしょう)。
共感はしていませんが、問題文と設問から、まあ敢えて答えるならば、こうなるだろうというのは理解をしました。


もちろん、チーズケーキ課題が解けるけれど自閉症スペクトラムの診断を受けている方も大勢いると思います。
 これが全てではないし、これが出来ないからといって悲観しては居ません。

ただ、ちょっと「あ、出来ない部分なんだな、別の能力で補っている部分なんだな」ということを、はっきり自覚した、興味深い出来事でした。

これを「なんとなくわかっちゃう」というのは定型発達の人のすごい能力だなあと思います。読んだだけで気まずい感じが伝わってくるなんて、テレパシーみたいですごいです。