pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

心の風邪ではない

「うつは、心の風邪です」

というセリフを一時期よく聞きました。

本来は、「だから、風邪と同じように誰もがなるもので、不可抗力です。休みましょう」という意味で使われたものでしょう。

でも、本当は、うつはこころの風邪ではありません。

こころの問題ではありません。

つまり、「気の持ちよう」ではありません。
「みんな一緒」ではありません。


私は元学校関係者です。

「新型うつっていう言葉、大嫌い」
「うつはもっとひどいもんだわ。あいつはニセモノだろ。かまって欲しいだけ。すぐ出てくる」
「説得して辞めるの辞めさせてこいって」

私の職場で聞いた、忘れられない、言葉です。

うつは脳のエラー(病気)です。
休まなくてはなりません。

これを聞いたときわたしは、誰にも言っていなかったけれどすでにうつの診断を受けて、薬を飲みながら仕事をしていました。

本人(当事者)が居なければ配慮しなくてもいい、本音を言ってもいい。
のかもしれません。
それぞれに思いはあるかもしれません。

でも、それを学校にいる間に発散するのは、変です。
学校にいる間に言わないと、しんどいなら、働き方に問題があります。
うつの問題ではありません。

そして、ニセモノ(?)なのだとしても、その子が苦しいなら、それは、診断なんかつかなくても、それは受け止められるべきです。

別に、それはこんなことを言う先生じゃなくてもいいけど(むしろ願い下げです)、とにかく受け止められるべきです。

さらに、「新型うつ」ですが、「嫌なこと」=「学校」になっているのなら、それはうつだろうとなんだろうと、教育者が気に入ろうと気に食わなかろうと、そこは問題です。そして、それは子どものせいではありません。当たり前ですよね。どうして、そんな恐ろしいことが言えるのでしょう。「学校だけ、しんどい」状態で、それが判明したなら、そこで食い止めるべきです。そのまま「甘え」とみて、もっとひどい状態になるのを喜んで見ているような教員は、いらない。

また、「教育に医療が介入しすぎてやりにくい」というのも時折聞かれる言葉です。

医療は教育の前提です。
それがねじれた教育には、どこかから介入があるのは当然です。
反省すべきはねじれた教育です。

むしろ、教育が医療を侵食しないでください。
健康でない人は学ぶことができません、しにくいです。

教育に医療を入れるなというなら、医療の判断にケチをつけているあなたがたの行いは、なんなのでしょう。今すぐただしてください。

協働すべきだとは思いますが、私が見てきたものがあまりにもひどくて、いまでも怒りが、定期的にこみ上げます。
怒りたくなんかないのに。

もちろんいい人もいました。
ここで、繋ぎ止めないと、だめだ、と、いう場合もあります。
学校が最後のとりでだという生徒もいます。

でも、それは「例外」だということです。

お願いです。

こんなことしないで。