pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

断る責任、休む努力。

私はいま、そとでのお仕事は出来ませんので、家でできるお仕事を請け負っています。

インターネットを介して依頼を受けます。
何度か続けて依頼を受けることもあるのですが、そうすると、「やらなきゃ」が溜まっていき、調子が崩れてきます。

ある程度の努力で、少しづつ、出来るようになることは必要かもしれません。

けれども、「できません」を表明すること、お休みをもらうことも、責任であり、休むことは、長く働くための努力なのです。

「休む」ことを表明できない、言いなり、というのは、ある種責任を相手に委ねている行為でもあり、お互い「ラク」でもあります(その場では)。
「断る」「休む」ことは、お互いその場では「つらい」です。とてもエネルギーを使うのでダウンしてしまったりもします。
でも、それは長く生きてはたらくための責任である、ともいえます。

どちらが悪いという話ではありません。

断るってとても苦手です。(別記事参照)

私にとって「頼むこと」「断ること」およびその言葉自体というのは、「相手の領域に侵入すること」だと感じます。そして、それを断る・断られることは、大きな壁や岩にぶつかって、世界がバラバラになってぐらんぐらんに揺れるような衝撃として感じます。とても怖いです。わけわからなくなって、キャーッとなってしまいます。

緊張するときもそうですが、こういう時も(この時も緊張するわけですが)、自分のたましいが右上のほうに抜けてしまって、体が斜めになって、地面が柔らかくうにゃうにゃとうねって、体の表面がしびれて感覚がなくなって、自分がきゅーっと小さく縮んでなくなってしまう、耳がきーんとするような感覚を感じます。

別記事の該当部分です。

また、『僕の彼女は発達障害2』で、あおさんが「頼んだり断ったり、休むことが苦手」というエピソードが出てきますが、まさに、反応など含めて私と同じだなあと思います。会社を休めない、というエピソードも、私にそっくりで痛々しく印象にのこっています。私は体調が悪くても出勤し職場で倒れてすぐに帰宅させられていたり、また最後にはどうしても体が動かなくなってしまい、パニックを起こしてパートナーに欠席連絡をしてもらって、やっと休めました(そして発達障害が発覚)。発達障害ではなくとも、落ち込みやすい人や、うつの人なども、こういうタイプが多いでしょう。


私は「断る」事に対し、上記のように感じてとても疲弊してしまうし、そもそもうまく断れていないことがたくさんあると思います。
結果、そういうしんどさを避けて、人と関われなかったりも、します。

今回うまくいったのは、「気分表」の荒れや悪夢を自覚できたこと。そして、文字媒体での(視覚的な)やりとりであったことが大きいです。

少しづつ、自分のできる方法で、うまくいった、「断っても、休んでも、大丈夫なんだ」という体験を、いまからでも、積み重ねて、練習したいと思います。

いまついてもらっている支援者さんいわく、「休める」「ヘルプを出せる」ということは、「非常に大切」で、「雇う側は、そういうことができる人の方が安心して、雇える」のだそうです。
特に、これが出来るのが当たり前とみなされやすい一般雇用では問われることが少なくても、障害者雇用においては、大切なことのようです。

これが発達障害者は苦手な傾向があるので、「えっ!」とも思いますが・・・
どうしても断れないなら、ジョブコーチをつけたり、支援者さんとやり方を相談する、ところまでは、できるようになると、自分も周りも楽だと思います。
「できない」ことではなく、「できない」を「できない」と表明すること。
これができれば、能力に凸凹の大きい発達障害の人も、もっともっと「凸」の部分を発揮しやすくなるかもしれませんね。