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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉症スペクトラム。 わわわアール・ブリュット作家です。

歯車も悪くないぞ

NTさん研究 うつ ASD 日々 仕事

おりしもTVで発達障害特集が組まれ、私のタイムラインでは話題になったところです。
発達障害者は「めちゃくちゃ個性的すぎていろいろ適応できない」なんていう言い方もされます。
そこで「歯車も悪くない」っていう記事を書くのもなあという気はしますが、最近思うことです。

とはいっても、私もわりと「ヘンな人」が好きです。おもしろいからです。刺激的です。同じような人ばかりで予想可能なパターンは、安心だけれど面白くないし、だいたいそういうパターンはうまく読めないくらい複雑で裏があります。
ただ、別に見た目がヘンとか明らかにヘン、であることが好きなわけではありません。よくよく話をしてみると、意外にみんな面白かったりするものです。みんなヘンだね。私の周りはあんまりふつうの人はいないのかもしれません。

でもそれがふつうでもあるわけで、私は最近、ふつうってのも、ヘンってのも、あんまり区別しないで、どちらも面白がっています。そういう面白がり方はヘンかもしれないけれど。なんでも面白がれる能力は、私の才能の一つで、自分のできることのなかで、いちばん好きな能力かもしれません。


「事務の人」のちょっとした仕事


わたしは現在、障害者雇用で事務の仕事をしています。内勤(会社の中での勤務)で、窓口業務はありません。ちょっとした来客対応はあります。外に出て働く人や、その他いろいろな人のお仕事を手伝ったり、とりまとめたり、データを整理したりします。頼まれれば、かんたんな翻訳や文字起こしもします(社内でほんのすこし出るこういう仕事って、外注しないで社内でちょっとそういうことが得意な人に回っているのかもしれません。それ専門の仕事にはできなくても、得意なことがあると、それが多めに回ってきたり、代わりに苦手なことをやってもらえたりするもので、何でも勉強しておくと意外に役に立つものです)。

そして、その合間に、備品をきれいにしたり補充したり、きれいに並べたり、といった、「やってもやらなくてもそんなに怒られはしないし、やりすぎてもうるさいもんだけど、いつもどこかで誰かがやってる小さい仕事」も、します。
おそらく世の中の事務員さんはちょこちょことこういうことをやっているんじゃないかなあ、と思います。

やらなくてもそれなりに仕事は回るのですが、ふと何かをしようとしたときに、小骨のような引っ掛かりが起こる。備品が無かったり、汚かったり。そういう小骨をさりげなく取って、スムーズに人間たちが動き回れるようにする
そんな感じです。

少しずつメインの仕事が空いているときに、様子を見て、他の事務員さんがやっていたことや、自分が仕事をしていて引っかかった部分を、うまく回るように調整している。
そんな感じです。

恒常性を保つ微生物みたいな何か


こういう作業をしていると、なんとなくあたまがぼーっとして、「胡蝶の夢」のような状態になることがあります。
私はよくそういう状態になる(解離に近いかも)のですが、気持ち悪くもあり、心地よくもあります。

胡蝶の夢状態になると、一つ上の次元にもう一人自分が発生して、世界全体から見下ろしているような感覚になります。

そうすると、人間とか、人間のかたまり(組織、学校、会社、国・・・)が、ひとつのおおきなアメーバのようないきものだと感じます。
いきものは、体温や内臓の状態を、ゆらぎながらもある程度の幅におさまるように、一定に保つために、内部でさまざまなものが働いています。この「ゆらぎはあれどある一定の幅におさまる」のが「恒常性」というやつです。

会社も、そうやって、(もちろん少しづつ進歩したり退化したりとか、あるのですが)、恒常性がある程度保たれていて、それに大きく貢献しているのが、事務員さん、というものたちだなあ、と感じて、ここちよく、なんとなくすてきな気持ちになります。

そうやってたくさんの、会社の中のものものを生かして、会社も生かして、うまく回っていくのだなあ、少しはみ出すことがあったり、死んだり子どもがうまれたりもするけど、そうやって呼吸しているんだなあ。恒常性、ここちよい。

そんなことを言語にするでもなく感じて、ぼーっとここちよくなります。そこに組み込まれているのは、悪くない感覚です(嫌だという人も当然いるでしょう)。

歯車はそんなに悪いもんでもない


そういうことを感じて、なんとなく、「ああ、組織のなかではたらく」っていうのは、そんなにしんどいもんでもなく、うまくバランスをとって生きるのは、つまんなくもなく、悪くないな、なんなら、結構興味深いじゃないか、と、今思っています。

相性もあるし、嫌なことや合わないことを無理する必要もない(実際のところ、私だって障害者雇用で配慮を受けながら働いているわけなので、自然に?働けている、なじめている、というわけではない)けれど、無理せずそれなりに、自分は自分としてありつづけながら、社会で生きていくことが、もしかしたら、できちゃうかもな。悪くないじゃないか。

うみのなかでぼんやりたゆたいながら、それでいて実は海の掃除屋さんをしているいきものみたいだなあ。面白いなあ。
世界のありようをまた一つ得た気がします。