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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

混乱の原因は。(カウンセリング18)

【お読みになる前にご注意】
※この記事はあくまで私の場合であり、私の「障害特性」ではなく「性格」である部分を含みます
※私は冷淡で感情がなく何をされても傷つかない、思いやりが無い、というわけではありません。会話を楽しむこともします。他人と関わることも楽しみます。
【以上】

先日、混乱していることについて、記事にしました。

原因は、
・仕事をしていることによって、それ以外の思考をすることに対する不安感があり、余裕が少ないこと

に加えて、複数の、私にとっては大きすぎる負荷がいちどにかかったこと。
その負荷は、

・基本的にだいたい15〜17時は「自宅に自分以外誰もいない」のだが、先週は常に誰かがいた。これは別の部屋にいてもわずかな音や気配、生活音が気になってしまうらしく、とてもしんどいことなのである。
・職場でジョブコーチや上司とのコミュニケーションにモヤモヤがある(うまく伝えられない)。
・風邪を引いて頭が回らない、体がとてもつらい。
SNSで私にとっては負荷となる言動さらされた。

の4点でした。
どれも仕方がないことなのでですが…。

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さて、上記の4点については前回のカウンセリングで話しました。
要素がどれも大きく、多いため、その中で、ひとつ自分で一番しんどいことを取り上げて、と言われたのですが頭の中がもじゃもじゃで、選べませんでした。
そこで心理士さんがピックアップしたのが、一番最後の項、「SNSで私にとっては負荷となる言動にさらされた。」です。

わたしにとってその言動が「侵襲的」、つまり、「私の自由な領域を侵害する」、と、私にとっては感じるだろう、おそらくこの要因の中であなたが一番しんどいのはこれなのではないか、とのこと。

確かに、他の3要因については、比較すると、解決しやすい、ないしは時が解決してくれる、偶然的要因で起こることであるため、私が考えて意味のある要素が少なく、すなわち私への負荷が少ないです。「しょうがないか」と、思いやすい、また、「能動的解決ができる部分があるため、わかりやすい」わけです。

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ということで、SNSでのトラブルについて少し話しました。

【内容ちらっと】
最近少し交流が合った人とのやり取りのなかで、「ブロック」や「リムーブ」(Twitterの機能で、相手の発言を読まないようにしたり、相手に自分の発言を見せないようにする機能。特に制限なく、ユーザーなら自由に使える機能である。ユーザーによってはこの機能を使うならば交流しません、といった宣言をする場合も見られるが、今回は互いにそうではなく、むしろ「自由にします、自由にしてください」と相手は明記していた※。また私は明記していないが、そういうスタンスをとっている。)という機能について少し触れたら、「あなたが大切だから、交流を絶つことはしたくない。そんなことは言ってほしくない」「敬語は悲しい」(★)といったことを言われる。

そう言われることは、私にとっては侵襲です。たとえ理由が好意だとしてもです。正直、好意を理由として縛られるのは、むしろたちが悪いです。
そして、★の発言は、※の事実を矛盾しており、私はどうしたらいいのかわからなくなる。自由を奪われたように感じ、身動きできず、ただただもがく状態。
また、正直なところ「人そのものとかかわる」とか「受け入れる」みたいなことがよくわからないし、自分にできるとも思えません。(自分に、というか、定型非定型を問わず誰にもできると思えないんです…。少なくとも実感できません。)
私はその人の発する言葉や作品やそういうものと、自分の発するそういうものとの応酬を楽しんでいるだけです。…でも、それって「冷たい」んでしょうか?「人間味がない」ですか?そう言われるのも悲しいけれど、仕方がないのかもしれません。上記は事実で、他人がそう感想を発するなら、それはそうであるというそれだけだから。と、そんなふうな人間なので、突然「人そのもの」として求められてしまい、ちょっと怖かったのです。

そのくせ、「好意である」ことはわかるため、拒絶しにくい。しかも、どうも相手はかなり見捨てられ不安が強いようで、ここ最近はそういったつぶやきが目立っていたり、いわゆる「病んでいる」ような状態(正直この時点でストレスが大きくて見えないように措置していました…)。

と、こういった状態が先週でした。
もじゃもじゃと身動きが取れなくなってしまい、どうしようもなかったです。
とりあえず事情を共有したところで、カウンセリングは終了しました。そして次回に、こういう人との関わり方を教えてもらう予定でした。

が。
その後、頭がもじゃもじゃするのに耐えられなくなり、ご飯が減ってきて。
私のほうから交流を絶ってしまいました…。
いちおう、実は完全に絶ったわけではなく、相手は複数のアカウントを持っていたため、そのうちの1つは残したのですが、そちらは相手にブロックされたみたいなので、完全に絶縁です。

しかしこれでもじゃもじゃはちょっと解消となったので、少し脳みそに言語化する余力が出たようです。ブログ記入ができるようになりました。

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さて、そこでもう少し思考が進んだので、自分の問題点を洗えました。

【私の問題点】
①自他の境界線が薄い!
②伝える努力を怠った!

これです。自他境界。そしてコミュニケーション。うおお。
わかるまではもじゃもじゃしていましたが、わかってしまえば拍子抜けで、それだけのような感じです。
まあ、今回のことは私だけの問題ではないとは思いますが、、相手の問題は相手のものなので取り扱いません。

①自他境界の問題
これについてはこちらの記事にくわしい。まさにこの記事に出てくる「自他境界の薄い人」が私です。
今回の場合は、
図・文=アスペルガーライフブログより

引用:
他者の意見が自分の内部に入り込みやすいと他者の意見というだけで自分の内部への侵襲ととらえる場合も十分ありうる。この場合、他者の提案(アドバイス)に対し、提案(アドバイス)というだけで「押しつけ=侵襲」ととらえ、拒否してしまうといった過剰防衛的な対応をしがちになるだろう。
引用終わり






こんな感じでしょう。
別に、「しないで」と言われたことを必ず守らなければならないわけでも、そのまま飲み込まなければいけないわけでもありません。受け入れても、従っても、反論してもいいし、「ふ〜ん」と聞いておいて流したって構わない。だってそれは自分の考えではないし、別に法律で決まっているわけでもないのだから。別にそんな強制力はちょっと交流した他人にはないし、親子だとしてもない(あるべきではない)のです。
正直なところ、多少「弱さを振りかざされた」ふしはあれど(どうしてもそう思っちゃうのがすでに境界の弱さなのかしらん)、それもやんわりしたものでした。発言が矛盾していて気持ちが悪いのだって、別に指摘したっていいわけだし、どちらの発言も他人の勝手な意見表明なのだから、わざわざ振り回されるほうがヘンっちゃヘンです。

②伝える努力を怠った
そしてこれ。今まで取り上げたり問題視したことがなかったのですが、これは私にとって結構欠点だなと改めて思いました。
自分の思いや考えを伝えようとしないで、一方的に関わりを切ってしまった。まあ別に良いといえばそうなのですが、まあ多少意識しておいたほうが自分にメリットがあるだろうと思うため取り上げます。

私はコミュニケーションがあまり得意ではありません。
言語にはめっぽう強いのですが、会話となると、なんだかいつ何を話して良いのかわからなくなってしまいます。一般的な雑談にうまくついていくのは難しいことがあります。はやりの人物や芸能にくわしくなかったり、遊びの誘いにノリノリで(?)応じられなかったり。特に複数人で話をしていると、いつの間にか幽霊状態。後からほかの人がその場面を思い返したとき、きっと私の存在は忘れられているだろうと思います。すごく。
そういうふうなので、いつの間にか自分のしらないうちに、自分の所属する組織のなかで仲良し組ができていてもぜんぜん気づきません。いつの間にか私だけポツーンとしていたりします。

そういう人が「ポツーン」に気がついたとき取る行動としては
・輪に入れるようにがんばる
・あきらめる
の2つに大別されるでしょう。
私は後者なのです。

結局、「人との情的なかかわりをさほど求めない」という性格なんだか特性なんだか判然としないわたしの性質があいまって、「諦めるほうが断然お得」判断がはたらくことが多く、基本的に浅い関わりで諦めてしまいます。いじめられたりしたら嫌だけど、まあ陰口とか、特別な仲良しがいないとか、雑談する相手がいない、という程度なら、その場での作業に支障が出なければいいや、という感じです。まあ私だってロボットじゃないので、ある程度気心知れている人がいるほうが楽しいのですけれど。

完全に互いを受け入れる(他者を受け入れるとか理解する、ってどういうことなのかわからないけれど、やけに発達障害ないしは”メンヘラ”界隈では空想的に過剰な、ジャボン玉のような儚くて独りよがりの理想を求めている人が多いように感じます)ことは不可能だし、人との関わりは、そう意識せずとも何らかのギブアンドテイクがあるのだから、そういうことについて「わたしはできないです、でもほしいです。配慮してください(?)!!」なんていうのはおこがましい(*)し、まあ無理だろう、と思います。するならもうちょっと具体的に交渉しないとダメでしょう。

その辺はおそらく試行錯誤、手探りで偶然要素も多いので、全部を言語化するのは難しいだろうなと思います。私はとりあえず最低限「自分の仕事をきちんとやる」ことを心がけております。
また、定型の世界ではそもそも「そういうことを言語化する・分析する」という行為そのものが「冷たい」「ひどい」という評価を受けることでしょう。「なんとなくできる」からやさしい、のだろうと。ほら、「策略家」的な人って、「嫌われ役」でしょう?(イメージですけど…)まあ、できなくて教えてほしい人にとっては困った話ではあるのですが。

そういう理由で、考えた結果私は今のような「最低限の人間関係」でゆうゆう自由に過ごしています。
時々思い出したように寂しくなる、また、「寂しい」と愚痴りにくい(だって自業自得です)のが欠点(わりと痛い)ですが、私としては、自分にはとても合っていると思うし、非常に快適です。おすすめです。今のところベストの方策です。

そういうわけなのですが、今回の場合は、「急に関係を断ち切ってしまい」ました。これは相手に悪いことをしました。
また、自分にとってもショックがありましたし、その前に「悩んだ」ということは、ある程度自分も「その人との関係を続けたいと思っていた」ということなのだろうと思います。
だったら、自分の思いを伝えなければなりませんでした。
混乱して、だめでした。
これについては、次回のカウンセリングで「関係を断つ以外の方法」を考えてみようと思います。
今回はここまで。

*これについては、私が発達障害者の中でもあまりしんどさを意識しないで生きてくることができた、また他者希求度の低さ、二次障害の軽快度合い等が影響しており、一概には「おこがましい」とはいえないかもしれません。状態によるかもしれません。また、「配慮」そのものを必要ないと思っているわけでもありません。現状、私について言えば、そのあたりで手を打つのが一番良い、と判断しているだけです。もっといい方法が有るのならそれが良いのかもしれません。