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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

生育歴:義務教育期間・中学校


ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。
生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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引き続き面倒臭いこども。
2年生のとき、学級会のテーマと担任の言動があっておらず、耐えられなくなりそのまま帰宅してしまう。担任が理解?してくれその後引きずることはなかったが、中学生は難しく、スクールカウンセラーや図書の先生のところにいつも遊びに行って、お世話になっていた。体育のダンスができず意地悪を言われてしばらく体育の授業に出られなかった。登校拒否ぎみになることがすこし。2度ほどスクールカウンセラーは自宅にまで来てくれた。「カウンセラーさんめっちゃ私のこと好きやん」と思っていたが、そうではない。わたしが問題児だったのだ。
透明水彩と鉛筆で絵を描いて、インターネットにスキャンしてのせていた。
自殺しようとしたが父親がどなったので「わたしはそんなことも許されないのか」と思った。芸術は得意。ただし気が乗った作品だけを異様に集中して仕上げた。

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たくさんの女の子が怖い。

中学校は、女の園です。

男の子もいるけれど、圧倒的に、先におとなになる、ませてくる、そして社会性が高いのが女の子。

とても怖かったです。

なかまはずれにされなくても、いじめがなくても、ただただ怖い。

意味がわからない生き物、という感じです。
いつ噛み付かれるかわからない生き物と同じ檻に入れられたら、怖いに決まっています。

できるだけそういうところに近づかないようにして。

そもそもそういうタイプの女の子だって、私みたいな子は願い下げなわけですけど。
できるだけさっぱりした子と一緒にいました。
小学校の頃と、だいたい同じような感じで、そういう子と遊んでもらうわけです。

幸いなことに、勉強ができたので、その点では苦労しませんでした。
また、運動は出来ませんでしたが、走るのだけは早かった(なぜだろう・でも、止まっているよりも、走っているほうがラクです。低緊張の影響かもしれません)です。リレーの選手になったりしました。
リレーの選手にはなったけれど、バトンの渡し方のルールや、空気を読んで(?)自分が走りだすタイミングをつかむことができなくて、うまくいきませんでした。とても恥ずかしかった。
どうして、みんなは教えられてもいないルールがわかるんだろう?
先生は「教えてあげればよかった」と言ってくれたけど、何で、教えてくれないでも、普通はできるんだろう?

集団行動はことごとく苦手だったので、中学校2〜3年生の頃は、半分登校拒否でした。
でも、親に怒鳴られ、引きずられて学校に通っていました。死にたかった。
時折親も降参して、自分で学校に「今日は行きません」と泣きながら電話させられました。ガンガン蹴られたりもしていました。家族全員が参っていたんだなあ。(それでも子どもを蹴ってはいけませんよ。今でも「命が危ない。親に殺される」と思った瞬間は忘れられない)

そんな状況だったので、SCのお世話になっていました。
私は、そのひとと遊んでいるような感覚でしたが、まあ、問題のある子ども、というわけ。今だったら病院を勧められているかもしれませんね。

死のうとするとまた怒鳴られて、ああ、自然死したいと思った。

このあたりで、蚊やかゆみにかなり過敏に反応することがわかりました。時には発熱し早退していました。今でも、理解が得にくく、精神的にも不安定になりやすく、面倒です。

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ただ、「いや」を初めて学んだのはこの時期でした。
「嫌」と言ってもいいんだよ、を知ったのは、同級生の男の子が、ふざけていたずらを良くする子だったことからです。

それでも、その子はとてもまじめな子だと、なぜかわかっていました。

そして、彼は「嫌なら嫌って言ったって、だれも嫌いになんてならないよ。大丈夫だよ」ということを、私に教えてくれました。

直接そう言われたわけじゃなないけれど、近いことを何度も言われて。

とてもあたたかいでした。

他の子達も優しかった。

比較的うまく受け止めてもらえていたと思います。もちろんうっとうしかったとは思いますが、私はかなり幸せです。楽しいこともいっぱいありました。
みんなでアルゴリズムたいそうをしたりしました。
点字で詩を翻訳するサークルに入っていました。一冊作って寄付しました。




やっぱり、友人や先生にはとても恵まれていました。
ピタゴラゴール、こんなのあるんですね…欲しい…)

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高校は、進学校に行こうか悩んで、周囲もそれを期待していて。

けれども、「このままじゃ、ダメだ」と思いました。
絵を描くことが好きでした。
でも、それで食べようとは思わなかった。
すぐに独立したかった。
でも、勉強もしたかった。

まだわからないのに、「進学が当たり前」の環境に進んで、そこでポキっと折れてしまうことがあったら、いけない。

選択肢と、人生、色んなヒト、今まで避けてきた、社交的な人々のこと、もっと知らなくてはならない。

これからは、義務教育ではない。

どうやら、カンタンに死なせてもらえない。

と思って、レベルを下げて、かわりに色々なことが学べる高校に行きました。