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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

生育歴:義務教育期間・小学校



ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。
生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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とにかくよく泣くこども。自分の目に「ルール違反」が目に入ると泣いてしまう。

他人の喧嘩を議題に学級会をやった時、嘘は言えないので、「それは現場を見ていないのでわかりません」と言ってしまったらとても浮いて怒られ、理不尽だと思ったことをよく覚えている。他の子は「暴力はいけないので**さんが悪い」」と全員が主張。吊るし上げだった。その意味わからなさにたえられない。今も引きずっている。

納得しないと行動が全くできないよね、と小学校の同級生でわたしのフォローをよくしてくれた子に言われる。「いつも泣いてたことしかわからん」は、ほとんどの同級生が思っていたことだろうと思う。この間、同級生の一人にそう言われて、やっぱり、と思った。

書道の時間、納得いく作品ができなくて、昼休み・放課後までかかって熱中してしまう。今の今まで「よき思い出」だったが、学校側から見たらこれは困るよなと今、やっと思う。

電話が急に鳴るのが怖くて、留守番の時はリビングの電話を監視していた。

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ざわざわした教室と多すぎる給食、嫌な食器。机と文房具の混ざった匂い。
混沌。

はじめて心身症を発症したのは小学校5年生で、円形脱毛症ができました。とても怖かった。

いっぽうで、やさしい心の同級生に恵まれて、とても良いこども時代を過ごさせて貰ったと思います。パニックになった時に筆談で会話してくれたりしましたし、よくお世話して、遊んでもらいました。
妹の友達と近所を冒険して草で色水を作ったり、近所の大学生のお兄さんとスライムづくりをしたりしました。
放課後に同級生と遊ぶことはあまりなく、こうして小さい子やお兄さんに遊んでもらっていました(小さい子についても「あそんでもらっていた」気がする。)。
生来の負けず嫌いや好奇心、文字への執着によって、ひとというものを学んでも居ました。
同級生でよく遊んでくれた子は、基本的にまじめで、きちんと勉強をする子。でも、その勉強をとても楽しむ子でした。だから、私も勉強が苦ではなかったし、よく一緒に宿題をしていました。
そうしてよい習慣付けがあったかわりに、親は勉強しろ、と全く言いませんでした。むしろ、「なぜ勉強ばかりするのか、遊べ」というタイプ。さぼることもあまり気に病まない人間です。
私はサボることは悪だと思っているふしがあり(これは改善しなくてはならない)、休むことに対してとても恐ろしく感じます。ある意味バランスがとれているのかもしれません。親はわたしのまじめさをばかにしていて、それはそれでとても嫌なのですが、これで、親もとても真面目だったら、私はとてもつらかったのかもしれません。

心理の本や哲学の本も読みました。
また、親が教育関係者の子どももおり、そういう子からはまんがで読む伝記や発達の本を貸してもらいました。

モノや情報によるやるとりというのはとてもやりやすいです。

『光とともに・・・』を読んだのも小学生のとき。とても、光くんに共感しました。知的障害や自閉の度合いは違いますが、圧倒的にシンパシーを感じたのは、光くんの側の子どもたちで、「ああ、私はこっちの人間だ」と感じました。

そして、それから、「そうか、予定をはっきりさせると安心するな」と、自分でスケジュール表を作るようになったり、絵を書いて安心したり、自分で自分を支援する方法を探り始めました。
ほんのすこしづつですが、比較的早い時期にこういう気付きあったことはとても良かったです。