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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

発達障害(アウトサイダー)と芸術・ないしはサヴァン

現時点での私の思考です。

発達障害のある人がしばしばある能力において突出している、ということはありうるし、能力の凹みの代償としてある能力がやたらと高くなる、ということもあるだろうと思う。

そして、その凹みが仮に「治った」としたら「連動して」「ある才能が消える」ことも起こりうる。
才能と欠点が表裏一体(例えば衝動性のような)ということもある。

しかし、だからといって

発達障害者は天才なのだ」
発達障害があるからアートをやらせればよい」
「私って発達障害かも。ほら、コミュニケーションは苦手だけどお絵かき好きだし(謎の期待感)」

というのは違うし、そういう方法は下手くそな慰めにもならない。
また、「才能のない発達障害者」も当然ゴロゴロいる。

さらに、発達障害者(や、統合失調症患者、その他のアウトサイダー・アートアール・ブリュットを作り出す人々)が特別にそういった能力にめぐまれているようにみえるのは、
「できないことを補うためにさせる」
とか、
「余暇支援・作業療法として、アート的なことをやらせる場合が多く、また作業所ではそういう作品を販売する機会もなかば自動的に与えられる」
ため、という部分もけっこう大きいと思う。
それから、ちょっとサイケな作品や明らかにアウトサイダー・アート「っぽい」作品というのは、ぶっちゃけ「それっぽく(芸術的に)」見える。理解し難いがゆえに。

したがって、アウトサイダーではない人が、全員「毎日何らかのアートな作業をし、発表の場を与えられる」という条件のもとで比較すれば、たいして変わらない可能性だってある(変わるとは思うけれど)。

また、インターネットや、地元の小さな展示なんかを見ていても、健常者のみなさんでものすごい作品を作る人は山程いる。

と、こんなところから、私は
発達障害が流行っている」
アール・ブリュットが流行っている」
発達障害サヴァンに連関がある」
あたりで適当に情報が混ざって
発達障害?才能じゃん!」
ということになって、さらに社会がコミュニケーション能力偏重といわれるようになり、それが苦しい人が定型発達でもたくさんいるために
「コミュニケーション苦手でも許されたい」
という人もたくさん出てきて、いい感じに醸成されてしまって

発達障害と芸術(サヴァン)」が同一視されるような場合が起こっていると思われる。
あとは、いわゆる「おたく」はアニメの絵が上手いのも若干関係ある気もする。

それから、多分発達障害×アート、およびアール・ブリュットは私の感覚ではいま流行しているが、それは「当事者とその取り巻き」の間での話であって、世間的にはそれほど大したことはないのだろうなあと思う。作品をいくつか見ていても、「明らかに障害者の作品」とか、「明らかに精神的に幼い」というのがよくわかるものも多くて、「この人だから良い」というところまでいっているのはわずかなんだろうな、と思う。「独特」とはいってもなんとなく「アール・ブリュットのパターン」みたいなものが出ているものが結構あると私には思える(そうでないものも当然ある。健常者のアートだってそうでしょ)。

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発達障害は、「障害」です。
「困っていること」を「障害」として取り出した概念なのです。

才能は、「才能」です。
「よくできること」を「才能」として取り出した概念なのです。

ふたつには関係があるかもしれません。
けれど、ふたつは違うものです。

「障害」の話をしているときに、「才能」の話を出されても、困ります。
「才能」の話をしているときに、「障害」の話を出されても、困ります。

「障害と才能」の話、というのも別枠で存在します。

また、「障害の評価」と「才能の評価」も別物です。
「才能がある」からといって「障害は軽くなりません」
「障害の軽重」と「才能の大きさ」は関係ありません。

才能がある人は、「その人だから」才能があります。
発達障害だから」ではありません。

「才能」は、それだけで才能。
「障害」は、それだけで障害。

ばかにしないでください。と思います。
障害があるから才能があるなんて、「才能」をばかにしていませんか
逆も然り。

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ただ、「もしかしたら」と、挑戦することを否定するわけではありません。
どんな人も、挑戦して良いと思います。
面白いと思います。
わたしはアール・ブリュットの作品で、欲しいものがいっぱいあるし、そうでない作品も、欲しいものがいっぱいあります。

また、作品をどのように売りだすか、どういうプロデュースの仕方をするか、という戦略において、「アール・ブリュット」として扱うというのは1つのよい方法だと思います。

コミュニケーション能力や交渉能力、身体能力など凹みのある人が、世の中に作品を発表するためには、そういう方法しかない、ということもあります。
通常の方法だと手続き等、多いし、母数もかなり多いです。

その線引きを、わかってほしい。と思います。

うまくいえないモヤモヤ感。
きつい言い回しが多くて、自分でもなんだかなあと思いますが、、、とにかく赤字が言いたい、だけです。

現時点での思考は以上。