pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

聴力検査を疑っていた

わたしの聴力は正常です。

しかし、今までずっと

わたしは聴力検査には出ないみたいだけど、絶対耳がわるい・・・きっと学校の聴力検査には何か欠陥が・・・」

と思っていました。

聴力検査は、わたしは耳に機械を当てて、数種類の高さの「ピー」という音が聞こえるか否かで検査していました。
そして、それはとても正確に聞き取れていましたし、問診でも問題無し、という結果を毎年、各学校の健康診断ではもらっていました。

けれども、わたしは「耳がわるい」と感じていました。

なぜなら、授業中、発言しているクラスメートの声が、全然聞き取れないということで難儀していたためです。
何か発言していることは口の動きやもごもごでわかるのですが、それが「何を言っているのか」わからない。場合によっては、声もかき消されてしまう。
それなのに、誰も聞こえていない素振りや「聞こえません」という訴えをしない。
みんなが聞こえている声が、聞こえない。

なのに、聴力検査に引っかかってくれない。

もはや引っかからないことがかえって不安でした。しかも、聴力検査で引っかからないということは、「聞いていないだけで、聞こえている」わけで。困りました。

先生の声は、大抵聞こえました。
なぜなら、先生の発言の時は、いつもよりクラスは静かになって、また、先生は話をするとき教壇にいることが多いため、教壇の周りは空気だけでうまく響いて、いい感じにわたしの所に声が届きました。先生なので、大きな声で話しますし。私の場合は、聞けていました(というか、困った、と感じていませんでした)。もしかしたら、緊張度も違うのかもしれませんが・・・。
 


図にすると、こんな感じでしょうか。人間やものをたくさん正確にかけないので、必要なところだけ。 ゴミのように舞っているくろいつぶつぶが、じゃまで聞こえません。多分、小さいささやきや物音だと思いますが、今となってはよくわかりません。当時はこれが「雑音」という認識すらなく、「もやもやして、ぜんぶいっしょになっちゃって、わかんない・・・」とただただ自分の耳がおかしいのだと思っていました。
授業中などにしかめっつらで話を聞いていたわたしは、必死でした。

私の場合、この状態で授業を受けていても予習で教科書を読んでいたこと、文字からの吸収がとても良かったこと、突き詰めてしまう性質が勉強にも発揮されたことで、あまり問題は起きませんでした。ただ、「 あの聴力検査は間違ってる!ピーなんてそんな音が聞こえても仕方ないのに!お医者さんの声がわかったって仕方ないのに!授業とかの人間の声でやってよ・・・」と聴力検査の方式に不満たらたらではありましたが。

これで本格的につらい思いをしたのが、社会人になってからでした。
教員として働き始めたわたしは、案の定
生徒の声が聞こえない」。
教壇から生徒まではそこそこ距離がありますし、声が小さい子も多い。
ざわざわも、ある。
こんなに聞こえなくて、すごくはっきり生徒は発声してくれていて、何度も聞き返されて、うんざりしているのがわかる。私が静かにさせられないせい?私の耳がおかしいせい?

結局ほどなく働けなくなってしまったので、そこまで止まりですが、なんとも困ったのでした。そのくせ大きな声も小さな声もいろいろ聞こえてきて、職員室で起こっていることは、端っこの席だったのにだいたい全部聞こえてきていたので、それも負担でした。



いまは、無理のない生き方を探しているので、上記のことについて、もやもやして困った、とは思っていません。
発達の凸凹を示唆され、「聞こえすぎる」「拾いすぎる」、いわゆる「聴覚過敏」という症状を知り、「自分のことがわかりにくい」、「感覚鈍磨」を知り、試しに「耳栓」をしたことで、すこし楽になり。
今日、こんなことがあったなあ、と思い出したので書いてみました。
教員をしていた頃のことは、いままであまり思い出さなかった・思い出せなかったのですが、最近は頻繁に思い出し怒り・パニック・泣きをしていました。今日はそこから一歩進んで、文章にできてほっとしています。これから思い出し怒りがなくなるとは全く思いません(同じことで何回もタイムスリップしているし、解決策がないので、すっきりしにくい上に、忘れにくい脳。なんともはや・・・という感じです。)が、書いて「ちょっと面白い話」にするのはわたしにとってとても良い効果があると思います。