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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

自他区分の曖昧さと感情過敏 「察して」という表出の内部

パートナは、私が混乱(パニック/メルトダウン)している時、時々

「僕はそんなにやさしくないよ」
「中途半端に優しくして、ごめんね。」

と言います。

また、言葉が出ない時は、LINEやメモ帳機能を使って

「声が出ないなら書け。俺には、わからん。」

と言います。
(声掛けがむだなときで、自傷や泣き「叫び」等がない場合、すなわち、回りと本人が安全である場合は、しばらく放っておかれます。クールダウンする必要があるからです。)

つらい、冷たいように思うこともありますし、そう感じるかもしれませんが、これはとても私に合っているし、お互いに必要なやりとりで、またとても頑張ってこういう対応をしてくれているなあと思います。たいてい、パニックになっているので、後でしか、そう思えないのが、申し訳ないのですが。

私は自他区分が曖昧な傾向があります。

それゆえ、他人に変に求めてしまったり、正義感が強すぎたりして、周囲を困惑させてしまうことがあります。いわゆる「真面目すぎてドン引き」ってやつです。

よくいじめられなかったものだと思います。からかいの対象にはなっていましたが、おそらくそれ以上に、周囲の理解があったこと、私の精神年齢・見た目年齢が明らかに低いことで、回りの女の子の保護欲を刺激したこと(?)、周りの子がとてもやさしい気持ちの子ばかりだった、ということがあげられるでしょう。また、自分からそういうことがおきるタイプの集団を徹底的に、一人になろうと避けまくったこともあるでしょう。

また、他人の思考を自分のものと区別できずに取り入れて、勝手に自滅してしまうことも非常に多いです。(このパターンはこちらのブログ→http://asdlife.net/blog-entry-682.htmlがわかりやすいです。)

そこで、上のようなパートナの対応は私にとっては有効だったのです。

あまりに優しくし過ぎると、共依存でふたりとも潰れてしまいます。
お互い優しい人間ではないですし、特性持ちで一人の時間が必要であることもあり、
「できること」「できないこと」「今は一人の時間」
という部分を、かなり明確にして付き合っていると思います。

さて、ところで、上記」「他人に変に求めてしまったり」というのは、定型発達の人でもよく起こりうることだと思います。
いわゆる「察して」「気を遣って」ほしい、という欲求、そしてそれが叶えられないと、怒り・恥・悲しみの感情が表出する、という現象です。
ぱっと見、これはとても表出する現象が似ています。

そのため、私はこれまで「定型発達の人のほうが、もしかして自他区分が曖昧なんじゃないの〜?でも、みんな似てるから、それでもやっていけちゃうだけなんじゃないの〜?ずるくな〜い?」と思っていました。今もちょっと思っています。

ところが、先日この記事について考えたことにあたって、もしかして、

自他区分ができても、感情面で納得がいかなくて、どうしてもダメなのか?
と思いました。

「察する」という行為は、
「あなたのことを考えていますよ」
「いつも見ていて、あなたが求めるものを正しく供給して上げられますよ」
「つまり、あなたが好きですよ」

という正の感情を伝えるための行為でもあると推測されます。

そして、定型発達さんは、どちらかというと、この感情を受け取ることに需要があるようです。
私は、同じ現象を体験する場合、そうではなく、「自分が求めていること」が満たされれば、それで落ち着きます。感情?は全く求めていません。おそらく…。感情を受け取る、とか、感情を求める、ということが、具体的にイメージ出来ないので、よくわかりませんが、イメージできないですし、多分たいして求めることもできないんじゃないかと思います。ある程度はなんとなく、わかりますが、それと「察して欲しい」というものを混同するというのが、むずかしすぎてよくわかりません。別々に貰ってはいけないのかな…?※

とにかく、私が求めているもの・行為が、欲しいのに、なぜもらえないの。という、ただただそれなのです。ですから、たとえ面倒くさそうに、その行為をもらえたとしても、別にかまわないわけです(怒られる・不機嫌な声や言葉に対する耐性の無さについては、また別の過敏が絡んでいます)。
しかし、面倒くさそうに「はいはい、こうしてほしいんでしょ」とやると、どうも、「そうじゃない!」と怒る人もいるのかも。と思いました。

この辺りのメカニズムは、あまり良くわかりませんが、どうなのでしょうか?

もし分かる人がいたら、教えて欲しいです。


※私にも感情はありますし、感じることもできます。メカニズムの違いがあるだけです。