pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

自己肯定感の低さはどこからくるのか


「自己肯定感が低い」と改めて指摘を受ける


今日、カウンセリングと診察がありました。
そこで、改めて「前から気になっていたけれど、自己肯定感がとても低い。」と指摘を受けました。

私自身はあまり自覚がなく、自分という存在をうまくとらえていないので、いつもゆらいでいるようなところがあり、ピンときませんが、まあ高いほうではないだろうと思います。


能力の高さと自己評価


心理士さんは「ボクだったら、WAISの結果で全検査IQが130あったらもっと「えっへん」ってなるけど、そうでもないんだよね」と言いました。

うーん、そういうものなのか。そのために受けてるわけじゃないし、、という感じです。
でも、たしかに、それなりに出来ることもあって、私が私と他人なら、自己評価の低さを疑問に思う可能性があるでしょう。

そこで考えてみると、どうもその「知的能力の高さ」は、私にとって、これまでデメリットをかなり多く産んできたことが、一因にあるようです。

「普通にしているだけで、なぜか怒られ・妬まれる」


それは、きっとアメリカ人が日本で「英語が話せていいよね」「英語が話せるからって、私達をバカにしないでくれる?私達の気持ち、ちゃんと考えてから英語話してよ。」と、何百回と言われているような感じなのではないかと思います。

私は、出来ないことも多いけれど、出来ることもたくさんあります。
そのひとつで、これまでの人生で多くを占めてきたのが「お勉強」です。

トロくて幼い私が、なぜかお勉強だけよく出来る。
でも、くそまじめですぐに泣く・感情や身体のコントロールがぜんぜんできない。

いわゆる「小中学校の人気者」と真逆の能力のバランスをしています。

そうすると、なぜだか知らないけれど、周囲の人々は、私の発言はいちいち「自慢」に聞こえるようなのです。
私にとっては、当たり前の語彙を使って話していること。
当たり前の論理展開をつなげて楽しんでいる遊びでしかないこと。

それらが、「私達の気持ち考えてよ!」「いちいち自慢しないで」と、攻撃される要素になるようなのでした。

それも、わからなくもないのです。
というか、わかりたくなんかないけれど、わかってしまう。

いっぽう、私の気持ちは、いったいどこへいくのかは、わからないけれど。

とにかく、私にとってのふつうは、自慢なのだ。
かわいくない子どもになって、攻撃されるらしい。「キモイ」らしい。「うざい」らしい。「何いってんのかわかんないから無理」らしい。

それを学習しました。

能ある鷹はなんとやら、なんていうことも言われました。だから、お前なんか大したことない、と。能無しだから自慢してるんだろう、と。


そうじゃない!
私は、普通に、自分らしく、振る舞いたいのに!
じまんなんかしていないのに!

これについては、どうしていいのか、結論が出ていません。

とりあえず、現状も、そういったもやもやを抱え続けていることについては、環境調整ないしは、環境変更が本当は望ましいのだろうけれど・・・というところを少し話し、今日は終了でした。


高IQは、ある種の知的障害だ、と、時折言われます。
MENSA(高IQ集団)会員には、ニートが多いことも言われます。落ちこぼれも。

平均から外れていると言う意味では、IQ70の苦しみ(とは違うけれど)と、レベルとしてはおなじなのでしょう。
IQが離れていても、話が通じないわけでもないし、IQが近ければ、仲良くなれるわけでもないけれど。
現状、いわゆる”定型発達”でくくられることのある「同質性を好むタイプ」の人間が多い世界では、平均から離れることは、高確率で生きづらさを生むのでしょう。

違いをたんなる違いとして捉えることは、どうやらひどく難しいことのようです。
私にとってもそうかもしれません。
でも、それを絶対に目指したい。あきらめない。

自己肯定感は上がるか?


さて、では、今から自己肯定感は上がるものなのだろうか。いまわたしは、褒められることも多いです。嬉しいです。自分はいいんだな、と感じられます。
けれどもおそらく、幼いころからの積み重ねを今から復元するのは、難しいだろうと思います。

なぜなら・・・


上図のように、基本の土台(肯定を受け入れる器や土台)がきちんと固められていないので、今から自己肯定感につなげるのは、けっこう難しいのではないかと考えました。

ただし、それでも、確実に、ちょっとずつ、踏み固められて、自己肯定感に繋がるんじゃないか?
と、なんとなく思います(思いたい・・・)。
だって、褒められたら、一応、こそばゆくても居心地が悪くても、嬉しくないわけじゃないのだから。

えっへん、とむねをはれるところまでいかなくとも、そこに存在することを否定してしまわぬよう、自分が出来ることのひとつひとつを忘れぬよう、自分を育てたいと思います。
この図については、来週、余裕があれば、診察で「これでよいのか」確認してみようと思います。



自傷の頻度は下がらず平均的な様子で続いています。
そちらも様子見をして、記録をつけるように言われました。