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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

蚊のアレルギーと認知の思索

こんにちは。

今日も全身がかゆいです。

昔から、「かゆみ」に対する過敏があります。
何かがそっと触れればたまらなくかゆい!(参考記事はこちら

花粉や埃を含む空気が触れるのもかゆいですが、かといって着込んで皮膚の表面温度が上がるとさらにいけません。しかし、皮膚表面以外の体は「寒い」と感じているようです(わたしにはわからないのですが、冷え性なのと、体質的におそらく内臓が冷えている)。

特に夏はひどいです。

それは「蚊」のせい。

大人になるにつれて少し刺される頻度は下がりましたが、それでもひどいです。
脚が、もっともひどく。


「本物の膝、ど〜〜れだ?」


とばかり、はれあがります。
かきむしらなないと
頭が変になりそうで、頭が沸騰して、血管が切れそうに痛くなって「ひ〜〜〜〜っ」となって、のたうちまわる。ひどくかきむしって悪化。
かさぶたはがしの癖もあるので、余計に治りません。
しかも皮膚が弱いので、全部跡にのこっています。
がんばらないと塗り薬も気持ち悪い上に忘れてしまうので、「アットノン」は少し効いたようですが、完全に跡が消える頃にはわたしはおばあさんでしょう。




これです。
思いついたとときにがんばって塗ってます。
少しでも・・・。と思います。
最近は全く思い出せていませんが・・・。

ところが、これが過敏およびアレルギー反応だと気づいたのは最近です。

中学生のときには、キャンプで蚊に刺されて、発熱して早退・アレルギーと言われて薬が出るところまで至っているのに、「がまんがたりない」と思っていました。

就職1年目には、「かゆみが出てからじゃないと飲み薬はもらえない」と医者に言われただけで「ひ〜〜〜〜っ」となってパニックになってしまい、それが原因で心療内科に紹介されているにもかかわらず(当時はわたしも「心療内科・精神科=心の問題」、つまり、わたしは心が弱いのか、と思ってしまいましたし、お医者さんも単に「心の問題」と捉えていた節があります)。

びっくりです。
がまんがたりないわけじゃなかったわけです。
たぶん、ここで「自己モニタリング機能」「苦痛に対する過剰な鈍磨」「人に言われたことの受け止め方」「自他区分機能」のどれかが正常に発達していれば、もう少し違うのだと思います。
いま、「診断」というものを受けて、「これらを発達させる必要」「発達しないなら別の回路で補う必要(わたしは知的に高く外部支援がない分、この「内部支援」ができます)」を自覚したことで、上記が判明し、対策の立てようが出てきました。よかったです。



「オーバだなぁ、がまんしたらすぐ治る!みんなそんなもんだ!」と言われ続けて。
それでもやっぱりわたしはいくつになっても幼い子のように感覚パニックで泣いてしまって。


自分の感覚と、「みんな」の感覚は同じではありません。
同じに見えるのは、いまの世の中で生きるにおいて言うなら、運がいい、のです。

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これは、定型発達だとか、凸凹があるとか、関係ありません。
みんな同じなんて抽象化した言葉で言いたくなるのは、その方が情報量が少ないからです。自動でしていることなので仕方がないですが、ある意味怠慢なんです。
わたしもその方が脳の一部の「みんなと話すわたし」を操作するのは楽です。
でも、それ以外の部分は、脳が沸騰して「うわー」ってなります。
脳のほとんどが「みんなと話すわたし」である人の場合は、反対のことが起こってるのかもしれません。

何かを認識するってすごく難しいです。
その比較的やりやすい・共通だと思いやすいものが「言葉」「数字」「芸術」なのだろうと思います。
それでも不完全だし、著しく偏ってしまうこともあります。だって「共通だと思いやすい」のだから、そういうリスクがそれ自体に備わってる。でも、そういう方法でしかできないですね。
不安で不安でなんともならないようになってしまうけど、それでも、でもやっぱりずるできないのです。
だからやっぱりちゃんといろんなことを見極められるようにしてたいです。
いっぱい矛盾があるけど。認識をさぼることはできないです。

こんなことばっかり考えてたら疲れるよなあと、時々わたしの一部が言ってます。
でも、こういうことを考えずに生きてるのは、意味わからないなんです。
いろんな人がいるし、一人の人間の中にもいろんな人がいるんです。

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さて、夏だから、きれいな緑色の生地を手にいれました。
今日はそれをきれいにします。

水にさわれると気持ちいいので、いいです。