pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

表情がない

わたしは割と意識をしないと第一印象で①「にらんでる?」「怒ってる?」と思われたり、「つまらない?」と思われたりします。
特に小さい頃はにらんでる、と思われることが圧倒的に多くて、「ああやっぱりわたしはかわいくない子どもなんだ」とおもっていました。卑屈〜〜


「にらみ」「怒り」「無表情」に見える理由推測

*表情のデフォルトが無表情で、表情を作ることをが必ずしも重要と感じられない
①顔が過剰に緊張あるいは弛緩しているせい
②五感・プチ共感覚をフルに稼働させて、バックグラウンドで脳が120%働いているせい(=表情まで脳の容量がまわらない、またはまわそうと感じない*
③見えないパニック状態(=表情まで脳の容量がまわらない、またはまわそうと感じない)

のようです。どうやら、いくつかの自分に似た例をさがすと、このあたりがしっくりきます。ただ、「にらみ」「怒り」に見えることについては正直あまり実感としては理解できていません。「無表情に見える」ことについては、これが大人になってからは圧倒的に多いので、おそらく②脳のバックグラウンド稼働または③パニックのためだろうと実感として思います。

ただし、脳の容量は人並みにある(が、定型のひとよりも激しく効率悪くメモリーを消費している)こと、学習によって、「やわらかい表情が大切」なことも知っていますし、実感としての理解もしています。また、自然に表情がでない訳でも、感情が薄い訳でもありません。
入出力に定型一般の人間とずれが有るだけです。

余裕が有る(?)ときはきちんと(?)表情が出ていると思います。
また、ビジネスシーンでは意識的に表情を作ります。

ところが、

・会話の場面での言葉がこだわりに触れてしまって思考のメモリーが奪われたり(本人が自覚しているかに関わらない)
・論旨がわからなくなったり(本人が自覚しているかに関わらない)★
・なんらかの不快刺激(本人が自覚しているかに関わらない)に耐えたり
・自分の発言を吟味していたり(本人が自覚しているかに関わらない)

などなどなど・・・・・・・・・
していると、
①〜③の状態になりやすく、そうすると、いわゆる”意識が飛んだ”状態にみえたり、無表情に見えることが多いようです。
一応目の前の会話を聞いてはいるし、ある程度理解している(または、脳に記録はしていて、後で早回しで理解して相づちをうったりします。これをやると、「え、今?!」というタイミングで変な意見を言ってしまうことも)ことが多いですが、まあ失礼な状態ですね・・・。





とくに★については、教育・ビジネスシーンに限っては、定型一般の方にとても学習してほしいと思っています。しかし、これはわたしの論理に対するこだわりが言わせている部分も大きいので、★が大切なのかどうかは今のところ分かりません。もちろん★についても療育すべき部分はありますが、比較的、他の要因の方が「環境的配慮・療育」でなんとかなるのに対して、★は「周囲の個々人みなが意識・学習」しなくては、しんどいままなのです。そして、その学習は、定型非定型問わず必要です。学校教育では国語とかアカデミックライティング分野中心(ほんとうは分野に限定すべきでない)で、いわゆる「コミュニケーション能力」というものだと思います。異なる人間に正確に伝えるための方法です。

例えば、何らかの失敗を指摘する・される際には、「失敗そのもの」の指摘「それに対するフォローの仕方(謝罪等)」の指摘「人間性」の指摘(そんなこともできないなんて、ばかだ、というもの)「失敗の原因」の指摘などを、指摘する側も、される側も、どれを指摘しているのか意識しないで、なんとなく全体を理解できる、というのが定型一般のようですね。

しかし、わたしは、こういう話し方をされると、何を言っているのかわかりません。または、理解できても、納得できません。
そして、納得できないことを、上手に流すスキルが弱いです。
自分の中で練習してはいるのですが、納得していないので、忘れられません。

さらに、そこに、感情的な話し方が加わると、よけいに理解の妨げになります。
これは普通の人でもだと思いますが、特に私の場合は、「男性の怒声(に感じる声)」と「中年女性(に感じる)の声」がとても苦手です。すごく圧迫感があって、自分の主張も、言えなくなります。「マイナスの言葉をぶつけられている」ことに意識が支配されて、「どうすればいいのか」「何についていけなかったのか」まで脳が回りません。私の場合は、こういう話し方や言葉は「どす黒いようなとげとげべちょべちょした異物を不用意に投げられて、毒がまわってしまう」という視覚的イメージで、ダメージも同じくそのように感じます。



私は、ひとに恵まれ、上手く納得させてもらえたり、または書籍などによる学習・ルールとしての学習で、ある程度上のことは、表面的にはそこそこうまくこなしたり、かわしたりしている・・・と思います。
他者から見ると、そうではない可能性が多いに有りますし、できているとはいいがたいですが、とりあえず、いまのところはゆる〜く合格としています。
こういったことを考え始めると、この記事を書いているときにも、出てきてしまって、なかなか記事を書けなかった原因になった、(今回は「いやな声をぶつけられた」といった)恨みの感情があるので、自分の中で、折り合いをつけるためにも、周囲の感情を、異なる他者として尊敬するためにも、自分も他人も「そこそこ合格」にして、ゆる〜く過ごしたいと思います。そう言いつつかなり厳しい記事になってしまいましたし、書いているのもしんどいものだったのですが、セラピー的に公開したいと思います。