pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

診断を受けるのはなんのため?

わたしは今のクリニックに行く以前に、幾つかのクリニックに行っています。

①在職中。薄暗い診察室でただただ薬を出して「そうそう、気楽にね〜〜」というだけ・どんどん薬が増えて行く状態だったので、怖くなってやめてしまった。

②辞職後。一番長くかかっていたクリニック。ここで発達障害の診断を受けた。ただし、「なんらかの発達障害があります。それによって今の状態が起こっていますね」という大雑把な診断。しばらくはとてもうまく通えていたが、「発達障害だと思います」という言い方だったために、半年以上にわたって、それが診断されている状態、と理解できず、もやもやを抱えてしまい、何度も確認行動をとった結果、「何度も言ってるよね?聞いてなかったの?あなたは発達障害だって診断されてるんだよ。これ以上はうちではできないから、紹介状書く」とこじれてしまう。

③専門医。児童精神科、大人もみる、とのこと。いろいろな症状は学習で外で出ないようにしていること・うまくしゃべれない・準備していったもの等をいつ出せばいいのか、出していいのかわからない混乱があり、「ぴょんぴょんクルクルしちゃうのが発達障害だから、あなたは違うと思うよ」と言われる。うまく言えない・・という焦りと「やっぱりわたしは努力が足りないんだ、なのにこんなにいろいろな人に迷惑をかけて、診察に時間まで使わせている。もういやだ!」という絶望で、脱走・自傷(頭がんがん)・歩いてるうちに道がわからなくなって失踪したいな・・・と意味のわからない考えにとりつかれ、あてもなく歩きまわる。(※我に返ってお金払いにいったら、すごく遠くまで走っていったらしく、めちゃくちゃ迷った。)

④現クリニック。③までで大混乱を来たしていたわたしは、もうどこにも行けない・・・とにかく自分の努力が足りないんだ・・・と思い、1週間ほどは生活していたが、結局外の仕事に行けなくなってしまい来院。
はっきり言わないとわからない、ということをやっっっっっと伝えることができ、「どうですか?」ではなく少し具体的に質問してもらえている。また、「気分表」を出すと、しゃべることができなくても診察が受けやすいですよ、と、教えていただき、出すことで、診察を受けている。まだ何の診断もでていない状態。



わたしはおそらく「(受動型ASで、)過剰適応タイプ」という分類が一番近いです。
そして、えっちらおっちら大学を卒業したものの、就職先で適応障害を起こし、特性を和らげる体力精神力がないために、どーんと出ているような気がします。

さらに、「発達障害」の示唆があったものの、確定に至らず(本当は確定していたわけですが・・・)、とにかく発達障害について調べに調べました。付箋だらけの本と、プリントアウトしたインターネットの情報でちょっとした山ができます。
ここで、なんとなく対策などもたてられました。その一つがこのブログでもあります。
しかし、「どの情報も、100パーセント自分に当てはまるものがない」ことや、「証拠がない」「本に出てくる当事者は、診断をうけている」ことが、気になって仕方がありませんでした。


わたしはどこまで、どうやって頑張っていけばいいの?
わたしは普通に働けないの?働かないの?もっと頑張らなくちゃいけないの?
いつになったらうまくいくのか?
どうして小さい頃にこういう支援をうけられなかったんだろう・・・。


と、考えても考えても仕方のないことばかりで頭がいっぱいになってしまいました。
大まかに、そのために、②③のような経過をたどってしまったわけです。



今でも上記の気持ちはあります。時々とてもしんどくなります。
でも、最近はそうでもないな、ってふっと思えることも増えてきました。


発達障害」ってつらいことばかり?

そうでもないよ??

って思うからです。
不便といえば不便な体です。
そして、それをわかってもらいにくい。
200パーセントで頑張ったら、次の日寝込むかもしれないけど、できることもあるし。
診断がないと、配慮もお願いしにくい。
特性上、「ASD者のための〜〜」というグッズ等に手を出しにくい。
ああ、面倒くさいな。
ていうか、わりと困るやん。

とも思うけれど。
そこそこ面白い。


今はインターネットがあって、都会よりはちょっと静かな田舎で、似ている人と交流したり、情報を集めて知恵をつけたりできます。デジタルみみせん、ノイズキャンセリングヘッドホン、体幹にきくクッション、姿勢の問題、中敷・・・すごくいいことばっかり知ってる!
うまく話せないぶん、文がたくさんかけます。
イメージに飲まれるのは疲れるけど、それがなくなったらつまらないなあと思ってしまいます。
ものを作るのが好きで得意で、そういう仲間といると、「ちょっと違う子」のほうがむしろ、けっこう普通だったり。
仕事がうまくいかなくて、「できないこと」「教えてもらうこと」を出すことができるようになりました。もちろん、私が人に恵まれている、ということが大きいのでしょうけれど。
仕事がうまくできなくて、ヨガをかじり始めて、運動って「体育」より100万倍楽しいやん、って思いました。


こうやって書くと恥ずかしいけど、書き出したいいことをお守りにします。

いまさらこどものころに戻れないし、別に本の通りじゃなくても、「本の記述と私の状態は、似てるな」と思ったら、そこだけ楽になる方法を借りればいいよね。大人になってしまうと、特に高機能の場合、支援も少ないし、それが今は手っ取り早い。

少なくとも、「本の通りに、私、苦しんでます!」っていうことは、全然目標じゃないよね。

どうなるかわからないけれど、ちょっとずついこうかな〜と思えているうちに、記事を書いておきました。

とりあえず、二次障害を治療しがてら、今のお医者さんに通っていこうと思っています。
うーん、これからどうしよっかな?
とにかく好きなことは続けるけど、うまいこと好きにやるためには、どうしたらいいかな?って、わがままなこと考えていよう。それが結果的に、周りにとっても楽なんじゃないかなあ、という気も、少ししている。