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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

(高機能)発達障害者と「マナー本」


内面を叙述できる発達障害者は貴重


最近、わたしの通院先は、本棚や、その他病院の見た目・設備に関して、発達障害者にやさしく、ひいては、みなにやさしくなるように少しづつ変えています(今でもかなり恵まれた設備やシステムですが)。
どういう面が整えば快適か、どんな本が欲しいか、私も少し話させて貰っています。
発達障害者で、自分の内面や特性を詳しく語ったり、必要な支援について、どのような形であれ(その場でペラペラ話せなくてもよい)、冷静に(支援を求めすぎるでもなく)叙述できる人、というのはけっこう貴重らしいのです。特に、医療や福祉の世界においては。
「聞いてくれる医療福祉」「叙述できる発達障害者」という組み合わせが実現するというのは結構貴重なことだろうとは思います。

そのなかで出た話から、「発達障害者向けのマナー本」について少し考えたことを記述してみます。



「障害者向けマナー本」ってやつはちょっと傲慢?


マナー本にも色々あるのですが、ここでは特に、発達障害者を中心に、障害のある人に向けたマナー本について考えます。
私についてもらっている心理士さんは、自閉症研究をしていたことのある、結構発達障害にくわしい人です。

その彼が言うことには、「発達障害者向けのマナー本って、「あなたがたはマナーがなっていないから教えてあげますよ」って感じがして、なんだか傲慢に感じるよね」

だそうで。
わたしはそういうマナー本の類と、自己啓発本の垣根をあいまいにしか捉えておらず、かつ自己啓発本が大嫌いなので、あまりそういうものを(勧められたことは何回かあるのだけれども…それも失礼な話よね!)読んだことがないのですが、まあ確かにそうかもしれないな、と思います。なんていうか、「あなた、マナー違反ですよ」って、他人が指摘して「直してあげよう」っていうことそのものの方が、むしろ大きなマナー違反ですよね、とは思います。



「小便器1個飛ばしの法則」をマナー本に書けるか


上記のような話をしているきっかけが、私が「こういうものも置くと面白く、また結構役に立つのでは?」と心理士さんに提示した本です。


「妹に教えたい 世界のお作法(わかった気になれる!)」
電話のお作法からコンクラーベのお作法までランダムに図解しています。以前ブログでも少し紹介しました

この本の中で、私が「面白いな」と思ったのが、「トイレのお作法」です。


男性のみなさんには当たり前のことなのでしょうか。女性の皆さんは知っているのでしょうか。
「便器選びもスマートに」と題して、「他の便器ががら空きのときに、ある人のすぐとなりを使うのは良くない。危機感を抱かせます。一つ飛ばして使いましょう」というようなことが書いてあるのです。

なるほど、と思いました。
発達障害者の療育的な目線でこれを解釈するなら「パーソナルスペースや距離感の問題」でしょう。

しかし、これを「障害者向けマナー本」に書けるか?というと、「難しいだろう」と思います。

福祉や医療は公的なものです。
ある程度の「おしゃべりをしながらご飯を食べるのは不潔です」とか、「くしゃみは手を口にあてて」といった、誰もが「口に出して言うことのできる・(特別支援ではない)学校で注意される」タイプのマナー、および、法律や公共の「ルール」に関しては、言及できるでしょう。
けれども、こういう「あまり口にだされないけれど、やられると奇異に感じる・正直なところ怖い・気持ちが悪いと、決定的にではないにしろ、”微妙に”感じる」部分というのは、言及しにくいだろうと思います。

横に並んでいる便器のどれを使うかは、ルールやマナーにおいては実際のところ自由であり、しかし、微妙な駆け引きのようなもの、関係性のマナーのようなものが生じているようです。「男子用小便器」においては、それが比較的わかりやすく「一つ飛ばしておいたほうが無難だぜ」とマナー化できるのですが。

けれども、「一つしか便器が空いていないときに、一つ飛ばしで便器を使えない」ですし、「すぐとなりにわざわざ来て便器を使用されても、まあ文句を言うわけではない(ただし腹のなかで気分が悪いというような思いをその人に感じる)」ために、やっぱり、公的な支援の場や書籍においては、こういうことは「マナー」として明言できないし、もっと言えばしてはいけない可能性もあります。
自閉度や知的な発達の度合いによっては、このようなことをマナーとして教えたり読んだりしたことで、排泄自体がうまくいかなくなる、といった可能性もあり、うまくバランスをとるのが難しいだろうと思います。

しかし、知的に高い自閉の人や、見た目が健常に見えてしまう発達障害者などにとっては、こういう微妙な部分のマナーや駆け引きことが、障害によってもっとも困難で、社会的にうまくいかない部分でもあるだろうと思います。



営利目的のマナー本や講座も使いこなそう


さて、そこで、「営利目的のマナー本(特に「オタク」向け)」の活躍のしどころだな、と私は思うのです。
営利目的の本なら、上記のような懸念はありません。
ただし、自分で「自分はどこまでできるのか。融通が効くのか」といった部分や、書籍内における冗談の混ざり具合をうまく見極める必要があります。

ある程度言語スキルのある高機能者向けです。
また、できれば理解のある医療者や支援者に、一緒に読んでもらうなど、一枚噛んでもらうのがよいでしょう。面白がるのがすきな知りたがりやさんなら、そのマナーの裏にある人間の心理を解説してある本がおすすめです。

これができると、格段に社会でうまく他者と関係する・距離感をつくることができてくる・面白くなってくるのではないかと思います。



ただし、一番のマナーは「やさしい無視」である


さて、ここまでかいておいてなんですが、マナーをいろいろと学んだり守ったりすることは面白いものの、絶対にまず初めに学ぶ必要があるのは「無視」のマナーです。

「他人のマナー違反」や「他人のちょっと奇妙なふるまい」に言及しない・笑わない。

自分が危害を被らない限り、無視する。

マナー違反を指摘していいのは、その人の親や教師・医療者などの特別な立場の人だけ。

自分と他人を区別する。
自分のがんばりに、他人を巻き込まない。

こういう自他区分のマナーです。
これができないのならば、むしろ最低限の法律のみ学び、マナーは学ばないほうがマシでしょう。

マナーというのは法律やルールと異なり、関係性で変動しうる微妙なものです。
それを、関係性を作るのが苦手だとお墨付きのある発達障害者・その自覚ある人が、ずけずけと物申すというのは、かなりマナー違反をしてしまう可能性が高いのです。
そういうことは、得意な人に任せるのがいいでしょう。
ただし、発達障害のない人も、やっぱりそんなふうに他人に言及すべきではない、と私は考えています。自分たちで自分たちの首をしめて、苦しい社会を作らなくてもいいよな、と思います。


「ありのままのあなたを愛しているから」
という、ドイツの電車の会社CM。
お金さえ払えば何してもいいよ!だそう。
私はこの動画が気に入っています。