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pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

ちょうどいい、は難しすぎるぞ

「ちょうどいい時間」に帰れない

以前からこれはそうだったのですが、ちょっと指摘を受けてしまったので書いてみようと思います。

まず、私は、「ちょうどいい時間」というのが苦手です。

 

何か予定があると待つことが難しく、そわそわもぞもぞして、前倒しではじめてしまうことが多いです。

これは結果的に「できている」「早い」ように見える

ので、問題とはなっていませんが、本人としては結構疲れるし、しんどい特性です。

また、約束の時間にも、異常に早く着いてしまうので、いつも時間つぶしに苦労します。約束の相手にも、気まずい思いをさせることがあります。

 

仕事においては、とにかく処理速度で何もかもをねじ伏せて「できているように見えている」ので、時間きっかりに帰るように”自分を設定”しています。それ以外に、どうしたらいいのかわからないからです。

いい感じの時間というのを、体で感じで、いい感じに帰ったり、来たりということが、出来る人というのはいるのでしょうか?私には、周囲がそういう魔法を使っているように見えて、なんだかいつも焦っている自分がばかみたいで、苦しいことがあります。

 

「連れだって帰る」のは難易度マックス、かも

そして、今回指摘されたのがこれです。

私には、同じ時間に仕事を終える同僚がいます。

その人が少し時間に遅れて帰ることというのがよくあります。

 

一方、わたしはそうしたことはほとんどありません。そういう設定だからです。

そして、一緒に帰る意味もあんまりわからないのです。

そもそも、帰る時間は決まっているのだから、私がどう調整すればよいのでしょう。調整すべきは、私ではない、という気がするのです。

そして、それをうまく伝えたり、コミュニケーションしたり、雑談したりして、時間を調整したり、潰したりを、さりげなくするという術を、私は持ちません。(だから、飲み会の後のよくわからない時間のようなものとかも、けっこううまく振る舞えない。)

コミュニケーションの困難、って、こういうことなのかしらん。

どうしたらいいかわからないので、わたしはどうすることもできません。

 

時間の調整に、コミュニケーションの調整が掛け合わさったようなワザを使わないと、「連れだって帰る」ということは、難しい

これじゃあ、どちらも特性上とても苦手な私には、太刀打ちできませんから、割り切ろう、と思っています。

 

でも、陰で何らかのこと(「待ってろよ」とか「手伝えよ」とかかと思われる)を言われていることは、実は知っています

 

そして、最近は、実は、がんばってがんばって、手伝えることが有るかどうか、聞くことが出来るようにはなりました。もうこれだけで結構泣きそうにしんどい。

でも、「いいよいいよ」と、その人はいつも言います。

だから、わたしは帰ります。

みんな、何も言いません。

 

ところが今日は、ある見るからに器用なある人(帰る時間が同じ人とは別人)に「もう少し待てば、一緒にかえれるのにな〜」とぼそっと言われました。

 

やっぱりぐさりときました。

わかっていることだし、いちおう「私にはここまでしかできない」と割り切っているつもりだったのですが。

 

ちょうどいい、は難しいなあ。

 

「不器用なんです」いえれば、よかった

少し時間が経って、そう思いました。

でも、そのときは、もうぐっさり刺されて、あっけにとられて、ぽかん、として、どうしようもなかった。

 

あしたも「ちょうどよくなく」生きるわたし

でも、それでもわたしは、あしたも時間よりちょっと早すぎる程度に出勤して、そわそわと時間を潰し、仕事をして、時間きっかりに、帰るのでしょう。ちょっとの、仕事を終えた達成感と、さびしさとか、苦い気持ちも、ありつつ、笑って「お疲れ様です」って言うんだろうと思います。

 

それができてるうちは、あとちょっと、あと1日、そうやって、がんばれるのかもな。

そうやって生きていくのかもなあ。

どこまでなら、それなりに楽しく生きられるか、探りながら、ちょっとずつ、楽しい方へ、生きようと思います。