pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

「明るい元気なテキパキもりちゃん」

自閉症現象学」の一部引用

仮面をかぶる。発達障害をもつ一部の女性は、一見、対人関係にぎこちなさが見られないことがある。むしろ社交的で、対人関係のスキルに恵まれているように見える。ところが実は、本人は対人関係を持つということ自体に非常に大きなストレスを感じている場合がある(成長の過程で、環境に問題を抱えていることが多いようだ)。

(略)

この快活なキャラクターはしかし本人ではなく仮面であり、そうやって表面的に社交的になることで、背後に隠れている人付き合いの苦手な「本当の自分」は大きなストレスを抱えたままである場合がある。

(略) 

ドナ・ウィリアムズがカウンセリングで自分のことを「あなた」と呼びかけながら語るのは、示唆的である(Williams,1992,二四一頁)。

(略)

自閉症の戦略としての疑似多重人格の場合、副人格はあくまで仮のキャラクターであって、本人の感情の一部・断片をなしているわけではない。

 

(『自閉症現象学』p176~178 部分)

 先日読んだ『自閉症現象学』の部分を引用しました。

他にも面白いところはありましたが、ふと「ああ、そうだなあ」と思い浮かんだ部分を記事にしてみます。

 

「明るい元気なテキパキもりちゃん」のわたし

わたしは、外では、そういう人格です(そう思われているという意味ではない)。

「外モード」とか、「スーパーアンテナモード」なんて呼ぶこともあります。空気を読む代わりに状況をすべて脳に取り入れて判断処理をして、自分を操縦しています。

この人格は、ウルトラマンじゃないけれど、持ちが悪く、とりあえず今は仕事の時間をこれで乗り切っていますが、もとに戻ると消耗しています。ときどき、外でもそういう「すてきな普通なわたし」をうまく保つことができません。

これは、私の疲れやすさ、引きこもりがちになる原因のひとつでしょう。

 

いわゆる「多重人格」とは異なる

これは、いわゆる多重人格、解離性同一性障害とは異なります。演じている、きぐるみをかぶっている、という状態に近いものです。

それはそれで、部分的には、なりたい姿でもあるので、常に苦しいわけではないのですが、疲れはします。けれど、本来の自分で戦うよりは、ずっと楽かもしれません。

まさに「戦略としての」ものです。

 

ふつうのひとにもあることだけれど

だからといってどうしてほしいわけでもないのですし、程度の差はあれ誰もがきっとこういう「演技」「外の自分」をもっているものだろうとも思います。ただ、その根本にあるものが異なること、そして、それを自然にやってのけて、うまく世間に馴染んで「普通に外の自分を作りながらも、ストレスをいなしつつ、それなりに生きる」というようなことができるのか、そこからはみ出してしまうのか、ということの差はあるでしょう。

まあ、疲れている様子の場合、ほおっておいてもらえるのが助かります。

 これを記述したからといって何か訴えたいことがあるわけでもなし、「本来の自分(?)」なるものを出したい、と思うかというとそういうわけでもない気もするし、どうしたいのかはわかりませんが、興味深い本と、自分との交わりとして、記録しておきます。

 

 

こんなふうに記事を書いているということじたいが、わたしが少し疲れているということかもしれないなといま、思い至りました。ぼちぼちいきます。