pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

「そのまま受け取る」と、潰れる。

冗談がわからなくて困る?

私は、冗談がわからなくて困ることは、正直あまりない。

確かに、うまく冗談に乗ったり、言ったりできない時、さびしい思いをさせるし、自分も寂しくなるし、うまくひとと関係できないことにもなる。

ただ、特に仕事の場面では、冗談がわからなくても、仕事中に冗談ばかり言われることもないし、私の場合、キャラクターの一部として機能し、そこまで責められたりしない。

ただし、これと類似で「発破をかけられた」ときは、とても困ったことになってしまう。

 

「話半分で聞く」ということが難しい

例えば、教師や上司の叱咤激励。

私は、そういうものを真に受けて、頑張りすぎたり、変な方向にがんばったりしすぎてしまう。

どうやら、そういうものは、話半分でいいらしいと、社会に出て教わった。

けれども、そういう「(建前に対する)本音の部分」というのは、基本的に言わないことであり、わざわざ話をする前に「話半分で聞いてください」と言ってから叱咤激励する人はいないだろう。

それなのに、みんなうまく、潰れないように、できているように見えて、とてもふしぎだ。

みんなは、表情や言い方から、どの程度真剣に?受け取れば良いのか、わかるように見える。叱咤激励された後でも、固まってしまったり、パニックにならずに、のんびりしているように見えて、羨ましいような歯がゆいような感じがする。

とてもふしぎだ。

言葉を受け取る度合いを、うまく調節するツマミが付いているのだろうか・・・?

これは、「冗談が通じない」の類型なのではないか、とふと思い、記録した。

 

「朝礼」「会議」「終礼」は、パスできれば、パスがいいかも

ものごとをそのまま受け取りすぎてしまう、くそまじめタイプの自閉の人は、そういう叱咤激励をされやすい「朝礼」「終礼」「会議」は、外したほうが、ちょうどよく(もともと真面目だから・・・)動けるかもしれないと思う。自閉の人に限らず、真面目すぎるひとは、それくらいが、ちょうどよいのではないかなと思う。もしくは、全員に、話は真面目に捉えるようにしてもらえば、叱咤激励が極端になることはなくなり、良いかもしれない(難しいだろう)。

 

現状、運の良いことに、私はそれらに参加していないので、働き続けていられるのかもしれない。正社員(にはなれないのだが)になるとしたら、そういう配慮を求めてみるのもありかもしれない。