pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

けんかっぱやい?

 いい大人なのに、喧嘩してしまう

私は、すぐに人とケンカになります。

といっても、どちらかと言うと私が一方的にケンカのようになってしまい、パニックを起こしているような状態になる、ということです。

 

間違ったことや嫌なことを、スルーできない

私は間違っていることや、曖昧なこと・嫌なことを、うまくやり過ごすことがあまりできません。

真正面から言葉を受け止めて、怒って泣いて、パニックを起こしてしまいます。

 

例えば、小さいときは、優先席に座る親を必死になって止めていました。優先席は、元気な人は座っては「絶対ダメ」だと思っていたのです(加えて、親というのは絶対に元気なものに見えていました)。

習い事先の先生がちょっと意地悪なことを言ったら、大人に歯向かって、ケンカをして、習い事をやめました。

クラスメイトの違反も、怖くて仕方がなく、起こってしまいます。泣き怒りパニックのような状態は、小中学生では格好のからかいの的になりました。

 

さすがに回数は減りましたが、大きくなっても、そうやって泣き怒りすることをやめられていません。

大学生になっても、社会人になっても、そういうことを繰り返して、その場所にいられなくなったことがあります。

 

子どもなら、「ちょっと正義感が強すぎる・頑固・・困った子」「でも間違っていないからいいだろう」と周囲に受け止めてもらえます。だから、小さいうちに「ほどほど」を覚えることができません。自然にそういう振る舞いを学習することができず、また感情のコントロールも幼いのです。

しかし、大人になるにつれて、それは「ひどく困った人」「立場をわきまえない人」「距離を置こう」という評価くるりと変化します。

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 「正しいことを主張できるのは立派だよ」?

上記のようなことを起こすと、仲裁に入ってくれる上司やお友達に、よく言われます。なぐさめとしての言葉なのだろうと思います。

けれど、私は冷静になると、「そんなわけないじゃない」と思います。それに、間違ったことをしているのは別の人なのに、なぜ私が苦しい思いをする必要があるのだろう、指摘すべき立場の人はいったいどうしてスルーできてしまうのだろう、と思います。

複雑な気持ちです。自分が悪いのだけれど・・・。

 

真正面からのコミュニケーション

真正面からのコミュニケーションは、往々にしてとても疲れます。

最近は、自他の区別をつけるように、かなり意識して「他人のことはほおって置く」ことを頑張っていますが、それでもうまくいかないこともあります。

 

スルーできる人たちが羨ましくもあり、でも、スルーしないのは正しいのではないか、少なくとも上の人は、本当はスルーしてしまってはいけないのではないか、とも思います。

 

関連っぽい、以前の記事です↓

morikanoko.hatenablog.com