pluie de météors

もりの思索について綴ったものです。 自閉スペクトラム症。 わわわアール・ブリュット作家です。

共感性羞恥のようなもの

共感性羞恥」とは

togetter.com

少し前(結構前だろうか)に話題になったものです。

「他人が気まずくなったり、恥をかくところを見るのに耐えられない・つらい」という現象があります。

わたしも、それがよくわかります。

 

ASD者でも「共感」性羞恥があるのだろうか?

「共感」がしにくいと言われるASD者ですが、共感性羞恥の人はいます。

私がそうです。

恥をかく場面や、失敗する場面。さびしい場面。

そういった場面を見ることができません。

何とも言えないつらい感覚が体を走って、いてもたってもいられなくなって、自室に避難して、刺激を遮断しないと、たえられません。

 

ASD者と共感

また、そもそも、ASD者も「共感」をすることがわかってきています。

susumu-akashi.com

ASD者が「共感しない」ようにみえるのは、定型発達者と特性があまりに異なることによるもので、特性の近いASD者同士では、共感がみられることがわかってきています。

実際、よくTwitterでも、「あるある」で盛り上がることもあります。

 

特に「TV・動画」が辛い

わたしの場合、どうしてかはわかりませんが、特に動画でそういった場面を見るのがつらいです。

小説などの場合は、ある程度読むことができます。

 

そもそも、私が、文字に対して動画を見ることに比較的興味を持ちにくいこともあるかもしれません。動画のほうが、視覚的・聴覚的に情報が多く、流れ込みすぎることもありそうです。

また、私の場合、二次障害でうつを抱えていることも、こういうものに弱いことと関係しそうです。

 

「モノになってしまう」という体験・自他区分・身体感覚

ソースが見つかりませんでしたが、自閉症の人の手記で「モノそのものと自分が一体化して、境目がなくなる」という体験が語られています。

これは、自他区分の付きにくさ(世界を切り分けられない=情報を捨てられない)や、身体感覚の薄さといった体の特性にも繋がりそうです。

このような部分も、発達障害者で「共感性羞恥」がある場合には関係しそうです。

 

つらいものは無理しない

では、この特徴とどう付き合うかですが、やはり「無理をして見ない」ということにつきます。

私は、みたいドラマがあり、途中まで頑張っていたのですが、つい今日、リタイアしました・・・。

見たかったなあ。と思いますが、どうしようもなく、その場にいることができませんでした。

そういうこともありながら、うまく付き合っていくしかありません。