合理的配慮に付随する義務って、あるの?

ありません

長くなるので結論を言うと、ありません

それが、「合理的配慮」です。

 

合理的配慮とは

資料3:合理的配慮について:文部科学省

h-navi.jp

ふたつのページを参照しました。

合理的配慮とは、社会モデル的に障害のあるひと(いわゆる障害者手帳所持者に限らない)に対し、「必要かつ適当」な範囲で、本人が必要とする配慮を行うことです。障害者本人は、合理的配慮を受ける権利があります。

詳しくはリンクを参照ください。

そして、学校や会社といった周囲・社会は、その合理的配慮を行う義務を負います。

ただし、これは行政の場合は絶対ですが、その他の民間の機関については努力義務であり、過度な負担が生じる場合は「障害者本人にはっきりと理由を説明すれば」、配慮を断ることができます。

 

合理的配慮を受ける人は、何らかの義務を負う、という記述は、ありません。

 

権利と義務って?

「権利を行使するなら義務を果たせ」

どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。

これは間違いです。

例えば、教育を受ける権利。

これに付随する義務は、「勉強する義務」ではありません。「教育機関や保護者が教育を受けさせる義務」です。

 

つまり・・・

 

「権利」は、それだけで「本人にあり」ます。

「代償となる義務」は生じないのです。

「権利と義務のセット」とは、「権利のある人に対して、その権利を享受できるよう、社会が行わなければならぬ義務(公共の福祉の範囲内=これが、合理的配慮でいうところの「過度な負担」というやつなのかな)」という意味です。

 

例えば、(発達)障害でいうなら?

「障害者(発達障害者)は配慮を求める際に、健常者(定型発達者)に配慮しろ」

「配慮を受けるなら、その配慮を他の人も受けられるように掛け合うのが代償だ」

「権利を主張するのはかまってちゃんだ、みんな辛いんだから」

 と、こんな感じでしょうか。

これが、「権利と義務」「合理的配慮」を履き違えているものです。

このような発言等を信じて自分を追い込む必要は全くありません。大丈夫です。

 

例えば音がつらい(聴覚過敏)という症状に対して、学校や会社で耳栓の使用を求める際に、「他にも辛い人がいるかもしれないので、全員に認めてもらえませんか」と掛け合う必要はない、ということです(自分でやる分には構いませんが、配慮を受ける人間の義務では、決してありません)。「他の辛い人」の配慮をする義務は、配慮される側ではなく、配慮する側、つまり「学校や会社」にあります

 

※ただし、「配慮される側」は、いつでもどんな時でも配慮される側だ、と言うわけではなく、時には「配慮の義務を負う側」になることもあります。が、それは「対になっているのではなく、場面の違い」です。

 

また、「大変申し訳ありません、私の障害のせいで、みなさんごめんなさい」と、必要以上に縮こまる必要もない、ということです。

 

堂々と配慮を受けて構わない、ということです。

 

もう一度結論です。

「合理的配慮に付随する義務って、あるの?」

ありません。

 

おわりに:笑顔で生きられますように

これは私の考えですが、必死の思いで、普通に生きるために配慮を受けている人に、代償として義務を課すのは酷ではないでしょうか。時にそれは「息をするなら隣の人にも酸素を渡さないと息はさせない」ということになりませんか。とても危険な考え方ではないかとさえ思います。

f:id:kanokomori:20180428014841j:plain

この問題を考える時、思いおこした図を掲載しておきます。

 

必要とする人が(もちろん診断や手帳の有無は問いません)、必要な配慮を適切に受けて、みんなが楽に、必要なところで、頑張りたい場面で、頑張れる、頑張れない場面では、ちょっとラクになれる社会が来ることを願っています。