むきあう

一週間、怖くて不安でたまらなかった。

 

地震のことではなかった。

 

絵のことだった。

教室のことだった。

 

教室で、いくつか指摘を受けたことについて、ずっと気にしていたことがあった。

 

「わかっている?」「わからなかったら質問してね」「聞いてる?」

と何回も言われた。

メモを取れていなかった。

 

その指摘について、頭がぐるぐるしていた。

 

どうやらわたしは自分で自分をみている以上に、「即時での音声言語や態度での表出」がうまくないらしく、固まってしまうのだった。

言葉の辞書的な意味は理解できているのに、それを「そのまま記憶する」ことはできても、「自分のものとして理解する」ことがうまくできない。

だから、「わかっているのか、わからないのか」すら答えられないのだった。

 

そういうことをぐるぐる考えて、しまいには、

 

自分は教室に行くのは向いていないのではないか(マイルドに言うと)、とまで思ってしまった。

でも、絵を続けたかった、教室に行きたかった。

 

つぶやいて「しまった」。

 

 

つぶやくことができた。

 

お友達に「伝えた方がいいよ」とすこし、背中を押してもらった。

 

 

連絡をした。

 

返事をみるのが怖かった。

怒られるのではないか、私の態度は悪いのではないか、支援ばかりを求めるように思われるのではないか。

 

土曜日の最後に、なにげなくメールチェックをしてしまった。

 

安心する内容だった。

 

 

絵の課題と生活の課題は、みごとなまでに繋がっている。

今までもそう思ったけれど、今回とても実感した。

 

焦ってていねいさを失わないこと。

全体の見えない不安と焦りに飲み込まれないこと。

思い込みでひとりぼっちになろうとしないこと。

理解を飲み込むだけでなく、自分のものにすること。

人と関わること。

伝えること。

世界への不安と向き合うこと。安心すること。

 

 

まだまだきっとあるんだろうなあ。

課題がいっぱいだ。

 

ぼちぼち、なめくじのようなあゆみでも、ていねいに。

絵に向き合い自分の人生に向き合おうと思った。

 

いっぽ、泥水の中の足を踏み出して進めたような、教室からのきょうまでだった。

行きつ戻りつするんだろうけどなあ。

そういうものなんだろう。

仕方ないよなあ。仕方ない。

ていねいに、返し縫いを繰り返すしかないかな、しょうがないよなあ。