私の感覚過敏、それと鈍麻、その他芋づる式に、特性

※これは個人の感覚に基づくものであり、根拠になるものではありません※

感覚過敏はパンフォーカス

感覚過敏は、パンフォーカスだと感じています。

すべてのものにピントが合いすぎる状態。

もの、どころか、ものものの「画素」「めちゃくちゃ細かいドット絵のドットひとつひとつ」レベルにまでピントがあっている状態。

まばたきをせずスクランブル交差点で「ウォーリーをさがせ!」をしているような。

 

視覚的なものいいをしましたが、これが聴覚や嗅覚でも起こる。

 

そうすると・・・

パンフォーカスとその他の特性のつながり

処理速度やまとめ上げが知覚しているものに追いつかない=「みえているのにみえていない、きこえているのにきこえない」といった状態になる=注意散漫

・上記により、結果的に頭が忙しいのに体を適切に動かす処理ができない=ぼーっとしている(ようにみえるし、本人にもそう感じられる場合もある)のに、ひどく消耗する

・「ぼーっとしてしまう」のを避けるための、「より強い刺激」を求める=常同行動、自己刺激、自傷行為、他害行為、多動、感覚探求

・細かいところまで、違いが見えてしまうので、うまく情報をまとめられない・・・細かいところはさておき、こういう系は「りんご」だよ、ができない=ことばの遅れ(ないしはやたら細かい、持って回ったいいまわし?)、コミュニケーションの困難さ、社会性(卵が先か、鶏が先か?)

・細かいところまで違いが見えるために、世界を信頼しにくい・・・同じ部分にこだわる=いわゆる「こだわり」や、それによる癇癪、パニック

・ある閾値(これが、もともと刺激で満たされたような状態なので、閾値が低い)を超える刺激に対するパニック=特定の音、感触等に過敏

・刺激が多すぎて、自分の体や、社会的に必要な情報を捉えられない=感覚鈍麻、見えないものが消える、協調運動障害、(LD?)

 

ADHDの薬で掃除ができるようになる=ごみが見える、フォーカスがかかって不要な情報がボケてくれるので「集中できる」が、「集中の深さは浅くなる」、感覚過敏が和らぐといったことが起こるのはそういう感じ?

 

ことばで世界を切り分けて、まとめ上げ、そして「捨てる」

おとなには、世界は整然と見えている場合が多いでしょう。「あそこに家があって、木があって、道路、川・・」という風に。

赤ちゃんの場合。

そんなふうに、「りんかく」が分かれていないのではないだろうか?

だって、ことばを持たないのだから。

パンフォーカスに、ないしはぼんやりと(目や耳の機能の発達ってどうなんだろう) 、画素の集まり、点描画のように見えているのでは?聞こえているのでは?(赤ちゃんって、最初はどういう発音も聞こえているのに、大人になると、外国語にしかない発音を聞き分けたり、言い分けたりしにくくなりますよね、そんな感じ)

 

それが、社会性によるものなのか、なんなのか、わからないけれど、切り分け、その過程で「その社会における余計な情報」を捨て去り、それによってまとめあげることができるようになる、「ある程度、その社会で許容範囲内のゆらぎはあれど、似たような世界認識を獲得する」。

morikanoko.hatenablog.com

わたしは、その「捨て去る」ことができません。

そこで、かんしゃくが起こってしまったり、頭がわーっとなったりします。

そのために、過敏なのにね。捨てることができません。

まとめられずに、情報がパンクして、頭がわーっとなって、コンピュータのように「落ちて」しまったり、フリーズしたり、バグが起こったり、します。

 

そんな感じ。

 

感覚過敏(パンフォーカス)を切り口に、いろいろな特性をまとめてみました。

特性や症状には理由がある。それを、「特性」「症状」をいってしまうと、それまでだけれど。

同じ切り口ばかりに固執しても、見落とすものがあるのだろうけれど。

なんとなく今は「パンフォーカス」の切り口にはまりました。

感覚って不思議です。自覚しようにも難しい。

私は、診断という切り口ができて、かなり言語化できて、負荷が減ったと思います。