どもる体

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

やっと読み終わりましたので、書きます。

とても面白かったです!

きっかけ

フォロワーさんがつぶやいている『どもる体』の内容の一部を読んで共感して、こんなことをつぶやきました。記憶は薄いけれどおそらくテーマは「うまく話せない」的なもの。

すると、「台本から〜」のツイートの内容がそのまま『どもる体』に書いてあるよ!と教えてもらいました。

すごい!それは読もう!ということで読みました。

 

私はどもる自覚はありませんが、「言葉が出ない」「うまく話せない」「話しきれない」「言葉がこぼれおちる」「言葉にするとこぼれおちる」というような不全感を抱えている自覚があります。また、その他身体と頭のつながりの悪さ、エラーの自覚もありますので、この本は面白く読めるのではないか、と思いました。

 

対処と症状がくるくる

吃音ではどうやら「症状」とされているものが、別の症状への「対処」であり、かつまたそれが症状である、というようなふうになっている、ということが書かれていました。

また、対処することで見せかけの症状そのものは「よくなる」とみえて、本人には「がんばってそうしている」という苦しさや「本当の自分ではない」ような不全感が残る、とのこと。

しかし、そうしたすべてのゆらぎをひっくるめて、そうした自己のあり方でもある、ということ。選択肢をつくるということ。依存先を増やすということ。自分の体のコントロールについて、乗っ取られつつ、コントロールするように、揺らぎながら常にバランスを探り探り生きてゆくということ。

 

そんなようなことを読みました。

これもまた、まったくうまく言葉にできていない、と思います。

ぜひ実際に読んでみてください。

 

私における発達障害とのつながり

上記について、わたしはとても共感しました。

わたしは吃音の自覚はないですが、先にあげたように、

 「言葉が出ない」「うまく話せない」「話しきれない」「言葉がこぼれおちる」「言葉にするとこぼれおちる」というような不全感を抱えている自覚があります。また、その他身体と頭のつながりの悪さ、エラーの自覚もあります

というふうな自分です。

そしてこれは、わたしの発達特性とかかわりがあると思っています(実際のところはわかりません)。

 

そういうふうな自分としてこれを読み、共感しました。

 

私にとってロッキング(からだをゆらゆらさせること)したり、わーっと声をあげたりすること、コミュニケーションが下手なこと…などなど、は、症状でもあり、(おそらく、の部分もあるし、確実に自覚がある部分もありつつ)対処法でもあるのです。

外から見れば、それは症状でしかないでしょう。

自閉症だからそういうことをする」と見えるだろうし、「そういうことをするから自閉症」と見えるでしょう。

けれども、そうではないのです。

わたしは私の感覚や困りを解消するための方策としてこのように生きているし、困りからこのように生きている。わたしなりの、世界とのバランスのとりかたなのです。

それらの一部は、困りを取り除いてほしいことですし、一部は、やめさせないでほしいことです。

わたしはわたしとしてここにあって、わたしなりにゆらいでいます。

ゆらぐわたしの部分だけに名付けをすることは、この世界で生きるために必要なことであるけれど、不全感のあることでもあります。鏡はほしいけれど、鏡はわたしではありません。

 

うーん!

なんともうまく言えません。どもっていないんだけれども、私も、「どもる体」の持ち主だ、と思います。

 

とかくしゃべりは窮屈だ。(オビより)

 

「どもT」当たりました

感想はこのくらいにしておいて(今後ももごもごとつぶやいたり付け足したりするかもしれませんが)、

現在、2018年10月31日まで、『どもる体』の表紙の女の子が着ているTシャツのプレゼントキャンペーンをやっていまして、当たりました。

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かっこよすぎる(後日着用写真を撮ってもらい、アップ予定です)。

みなさん奮って応募を。かっこいいぞ。一緒に着ましょう。

igs-kankan.com

 

また何回も読み返して消化していこうと思います。

それでは。