読書録「虹」

おすすめです。

kakuyomu.jp

ネタバレを含むような含まないような。ほとんど詩的な自分語りのメモ。

文そのものだけで前情報なく読んで十分に素敵なのであまりこういうふうに書き過ぎたくはないけれど、主人公はASDグレーあたりの特徴を持ち合わせているという設定のようです。

言語理解の凸で世界を認識し構築することでサバイブしてきたタイプの人、…いわゆる「高機能の女の子」には特に重なるところがあるのではないかと思います。そうではないひとが読んでもいいと思います。いなかのコミュニティとか、狭い世界で生き延びる、とか、そういうところが「来る」ひともいそうです(わたしは容姿はともかくそういうだいたいのところが「きた」。)

 

少なくともわたしは、言葉で世界を構築しなければ生きられないクチで、それをしないとみるみる世界が瓦解して混沌にかえってしまう。ところが混沌は魅惑。それこそが世界で、わたしはその恍惚をも求めてさまよい周り、ふとしたときに、ふいに訪れる(何か世界に触れたような)(何か納得がいったきがした)(パズルのピースが絶妙にあったような)(一瞬のきらめきを捕まえたと勘違いして)恍惚に、くるくる回ったり、跳ねたりしてしまう。そっちにいきたい。けれど、そこはどろりとした暗黒でもある。わたしは(わたしなんてものはない、わたしは世界と同一で、混沌だ)我を失う。からだ(のようなもの)じゅうが「いぎいぎ」として、皮膚を裏返してかきむしりたいような、叫び出したいような衝動に駆られる。いつも駆られている。ひーーーっ、となってしまうこともある。(どうしてあなたはいつまでもそうなの!とヒステリックに怒鳴る母がフラッシュバックする。)

ひとつのことばのとりまわしにも精確さが必須で、ほんの少しのずれだとどうやら他者が思う類語も、断絶はなはだしいと感じる。言葉に誠実であらねばならぬ。誠実でありたい。いつも戦い、愛している。言葉。

自分にとってあたりまえのようにふるまうと、どうもおかしい。注意深く観察し、推測し、決めつけず、深入りせず、やり過ごし、「うまくやり(?)」生き延びる。薄氷を踏むように生きる、わたしはいつもアンテナをはりめぐらせて緊張状態にある。らしい。(だってどうやら、そうではない人がいるって?)

 

それをわかってくれるひとが、この世の中にはどこかにいるのだ。それがときどき、こういうものを読んだりすると、わかる。それはたいへんうれしい。希望だ。生きられるかもしれない。と思う。

「わかる」「わかられる」「わかりあう」

けれどもわたしだって「わからない」わけじゃない。「体の感覚」みたいなものはたしかにある。わかりあうよろこびは、わかる。それに溺れて重要な指針を失うことはできないけれど。そうありたい。

 

 

書いてくださってありがとうございました。

理子と周囲の人々のかかわり、彼女の目を通した世界を通じて、特徴に違いはあれど似たような部分をもつ幼い自分をたどり、癒したような心持ちになりました。理子やその周囲の人々に話しかけてもらったようです。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と強く体を圧迫してもらったよう(抱きしめられたいのではない、体に圧迫が欲しいのである)。

なんだかとにかくあれですが好き…

 

正直発達障害関係の本は、診断当初は貪るように読んだもののその後はなかなか「読破」までいけないことが多かったのですが、物語ということもありましょうけれども、久々に読破したように思います。

こうやって内側の世界を丁寧にたどってもらえるとほんとうにうれしい。