すし屋に入ろう(カウンセリング記録)

カウンセリングでした。

これまでも記事にしていませんが何度かカウンセリングを受けています。

なんとなく課題がいっぱいいっぱいでもやもやとうまくまとめることができませんでした。

今回、具体的に言葉になったな、と思えました。かたちになるって大切だけど、それでこぼれるものや壊れるもの、忘れるものがあって、こわいとも思う。今回はすっきりしました。

 

最初の職場の話が、不自然なほど出ない

もっと早く気づけばよかったんだけど、と前置きをして心理士さんが指摘しました。

カウンセリングを再開してから、不自然なほどに前の最初の職場(学校)の話が出ない、という指摘でした。

さらに、その話題を振ると、わたしは抑うつ尺度で出る以上に落ちる。感情が吹き出し、どきっとするような厳しい言い方をする。ということ。

推測だけれど、よほど最初の職場の辛い体験が引っかかっているのでは、とのこと。

 

確かにそうで、こうして書いていても、わたしは「最初の職場」という書き方しかできません。「学校」と書くのが、怖い。

もういかなくていいのに。

 

また、ニュースなどで学校関連の話題が出る部分を避けたり、最初の職場をやめて以降、それまでよりさらに、怒りにまかれてしまいそうな侵入的な場面をかなり避けるようになりました。

特性以上の侵入拒否

自閉スペクトラム症の人で、感情的なことがとても苦手だったり、「一見して」感情を感じていないように見えたり(わたしもそう見えていたようですが、そうではないと後に判明:嵐のように感情を感じているが、言語に落とせないよう。)することや、侵入的なかかわりが苦手な人はわりといるそうです。

けれども、その一次的な特性以上に、あなたは今それが苦手になって、必要以上に避けているように思える。そしてそれが、生活上の制限を増やしているように見える、それはちょっと生活しにくいのではないか?

という推測を、心理士さんはしたようです。

これは推測だから、あなたの意見が聞きたいと言われたので、「確かにそう言われればそうかもしれない」と言いました。

わさびを食べなくてもいいから、すし屋に入れるように

そこで、現状のカウンセリングにおいて心理士さんが介入できることとして提案してくれたのがこれです。

感覚過敏や侵入・感情への苦手といった特性上の困難について無理にやることはしなくていいけれど、それに伴って「その周辺の行動」までもが制限されないように、できることを増やしましょう、ということ。

 

例え話として、すし屋の話をしながら、説明してくれました。

わさびが苦手な人に、無理にわさびを詰めても食べられるようにはならない。(ただ、自然に食べられるようになることはあるし、自閉症の感覚や感情についてもそういうふしもあるかもしれない)

けれど、それですし屋全部を嫌いになったり、入れない、さらに進んで、すし屋の前の道路が通れない、となってくると、生活がしんどいよね。そうなると、いわゆる「二次障害」的なものになってくる。

すし屋に入って、たまごやコーンを食べられるといいけど、まずは道路を渡れる程度にはなると楽かもしれない。

というように。

できそうなこと、避けれいることはなんだろう

今回はそういう提案までで、わたしは面白かったので了承してみました。

そこで、上記課題が出たので、次回までに考えておこうと思います。