治療されるということは

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治療されるということは「あなたのその困り、わかりますよ」と言われていると同時に「あなたは正しい状態ではないですよ」と言われていて、つまりは「あなたのことは、理解できない(正常側からみて、診断治療を行うんだから、そうでしょ。)」と線を引かれることだ。

 

医療にそれを求めることが適切ではないと思う。

けれど、「誰にもわかってもらえない」という諦め、絶望、孤独を抱えているとき、「わかってもらえる」という経験(それが誤解でもいいーだってひととひととは分かり合えないのだから、それは誤解なんだ)が、治癒的にはたらくと思う、私にとって。

 

誰ともわかりあえないことにより治療され、治療されることでわかってもらえたような気になり、治療されるってことは決してわかってはくれないのだと突きつけられる。

 

ああ面倒。

面倒な患者だなあ私は。

そんなことに気がつかないでわかってもらえたって思えたらもっと楽なのかな?

でもね、ただ絶望して孤独に、諦めているだけでは、それ以上の治癒は望めないんじゃないかとも思う。その方が楽なのだけれど。すぐわたしは「そっち」に行ってしまうのだけれど。

 

そのためにこうやって綴ったり、描いたりすることは、そこそこ有効。

決定的ではないにせよ、そこそこ、多分わりと。だからいい時代に生まれたと思う。

昔の人が自死してしまうの、わかる気がする。

今だって、わかる。と思う。

魅惑的だもの。

 

でも本当に欲しいのはそれじゃないのかもしれないから、まだ確かめないとね。

 生きてゆくって苦しいことだ。

これ以上は言いたくないだから、言わない。