ニューロダイバーシティの勉強メモ

※何かあればよろしければご教授ください。

ニューロダイバーシティ

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関連:アイデンティティファースト

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補足

identity-firstについて、経緯に関する補足をいただいたので書いておきます。(私が読んで噛み砕いているのでそのままではありません)

 

昔むかしは、「〜〜という障害の人」「〜〜という病気の人」といった表現がされていて、それに対し、「病気や障害の前に、わたしたちはひとりの人間だ」という、person-first あるいはpeople-first という考え方が生まれた。

そこまでは、「病気や障害」と「わたし」は、「わかれていた」。

ところが、「病気や障害のあるわたし」として、「ひとまとまり」であって、「カバンや荷物みたいに、病気や障害をそのへんに置いておくとか、自分から切り離すことなんてできないじゃないか」(「われら”自閉症者”なり、恥ずべきことなどない」)という考えが生まれた、それが、identity-first である。

また、アイデンティティというのは「わたしは」としか表し得ない、言い換えのきかないものであって、他人が決めることはできず、やっぱり、「わたしは」としか言えない。

(そうすると、「これは違うんだ」とは言えても、簡単に「じゃあわたしは、ってのはなんなんだ、ということに答えるのが難しいわけだ…)

 

ちょっと考える

わたしはこういう考え方をここ最近考えたり好んだりしているのですが、その割に全然よくわかっていなくて、ああ考え続けることが、あり続けることが、”そういうこと”なのかなあ、とか、なんとか思ったりします。

 

ニューロダイバーシティは、「障害は障害でなく個性だ」とかそういう考え方とはちょっと、というか私が思うに「かなり」違うのですが、「多様性」という訳語に引っ張られて、そういう解釈だと思われていたり、「役に立っているんだ」的な考え方が入ってしまったりしていたりするのが気になっています。

支援者や関係者の間では少し知られた考え方なのではないかと思いますが、当事者間ではあまり知られていない気がします。

知っていることと、理解していることと、ことばにできることと、つかんでいる、それを得ていること、行動ができること、は、全部違うので、知られていることが大事かというと、そういうわけでもないかもしれませんが。

こういう考え方をする人間もいるという記録。