後から気づいた嬉しさ
今日は診察がありました。
夜になって、なんとなく思い出して頭の中で再生するうちに、すごくいいな、うれしいな、と思い至った言葉があったので、記事にしました。
今回は、この記事
で整頓したファイルと、薬についてや、検査についての希望メモをもって行きました。
ファイルには、特性を説明した、今まで作ってきたシートも入っており、これからそれを増やして、「自分の説明書」のようにするつもりです。
全部見てもらい、コメントをそれぞれもらったり、質問されたりしました。
そんな中での言葉です。
「わかる」なんて、簡単に言わないで!
これはとてもわがままな感情かもしれません。
が、私はけっこうこの気持ちをもっています。
自分に侵入されたくない、という特徴も相まっているかもしれません。
「わかる」なんて、証明しようがないし、本人の痛みは、本人のものであって、誰のものにもなりえない、わかりあうことはできない。でも、そのままで、「わからないけど、そうなんだね。」って「知って、対応する」ことで、みんなで生きていけないかな?と、私は思っています。
だから、この言葉は、なんだかとてもいいな、と思ったのです。
医療者であっても、わからない感覚はある。
それでも、医療者として、できることをしてくれる。
そういう感じがして、急に、夜、嬉しくなりました。
こんなことは私のわがままだろうと思うし、理解されにくいことだろうと思います。
けれど、そういうふうになったら、みんなちょっと楽に、みんなが「ふつう」に縛られずに「そのまま」でいられないかなあ、と思います。