未来はみんなのものであってほしい。
技術が進歩して、今、不便だったり困難な生活をしている人が
どんどん楽になる、生活がしやすくなるようになってほしい
でも、それと
「今比較的楽に生活できているかもしれない人」の生活が、反転する必要はない。
そうあってはならない。
そんな未来は、ぜんぜん嬉しくない。
技術も、未来も、みんなのものだ。
発達障害者のためのものでも、私のためのものでもない。
みんなが楽になるべきだ。
今、不均衡な状態を強いられていると、
まわりの「楽に見える人」が羨ましくて苦しくて、「ふつうのひと」が「意地悪な強い人」に見えてしまって、どうにもいやな気持ちをおさえられないことがある。
「技術が進歩して、発達障害者の特性が不利な部分はカバーされ、有利な部分が有利に働き、今と状況が逆転する」
なんていう妄想をしてみたりね。
でも、それは違う。
望んでいない。
それに、それは甘いよ。
技術をなめている。
人間をなめている。
自分をなめている。
自分はそんな未来を望んでいるの?
望んじゃいない、なめないでほしい。自分だけ甘やかされたくなんかないよ。
自分で自分をなめて、「ほら、こういうのがいいんだろう」なんて、そんなのいらないよ。
それに、「強くて意地悪に見える人」は、ほんとうにそうかな、
たぶん、けっこうみんな、「ふつうによわくてやさしいにんげん」なんだよ。
それを実感したい。
実感できるといい。
実感していることを忘れない。
どうしようもなくなったとき、どうすればいいのかわからないけど。
わたしは、ありたいわたしの姿をないがしろにしたくないから。
すくなくとも、そうありたいと思っていたい。
意地悪な自分を知っているから、苦しい。
でも、そうじゃない。
すっくと、よってたかることなく、たったひとりで、でもみんなで、ここにいたい。