カウンセリングを卒業しました

数ヶ月前からそうするべきだな、と思っていたのですが、このたびカウンセリングの枠を卒業しました。

 

なんとなく大丈夫な感じがしたからです。

 

実のところこんなに急な卒業だというのは少々意外で事情があるからなのですが、それはそれとして、なんとなく大丈夫だという気がします。

心理士さんも、以前一度卒業したときは「なにかあったらまたお声がけください」というような言い方だったのですが、今回は「もりさんなら大丈夫だと思います」と言いました。

 

急なことで時間がなかったのでかなりさくさくと近況などを話したのですが、それがかえって良かったようでもあります。

 

COVID-19感染症に関わる不安

これについては一応報告として、それなりに負荷があり、主に経済的な不安を要因として「家族がひどいめにあって帰ってくる・または帰ってこられない」という想像を頻回にしてしまうことを伝えました。

ただ、まあ、どうしようもないことも自分でわかっており、それなりにやり過ごして、楽しいことでできることはがまんしないようにしています。

 

治療すること、介入すること

それがその時点でどんなに自覚的であろうと「あなたをわかっていますよ」「私は”普通”側で、あなたは”普通じゃないから直される”側ですよ」、という「分析の侵襲」をはらんだ暴力性のあるものであるということの自覚について。

ただ、ある程度介入してからでないと「意味以前」というものを認識するには負荷が大きすぎることもあるというところが難しいな、と話しました。いまの社会で本人が死ぬ前に社会が本人に完全にフィットすることはないであろうことを踏まえたストラテジーとしての適応というのも、ラクするために必要であって、うまくスイッチするにはけっこう認知的な体力・胆力(本当に体力として必要だと思う)が必要でもあるし…。

 

「治療されない私」にもどる時間を作っている

これは少し言葉を尽くしました。

認知をとっぱらう、言葉を、りんかくをとっぱらって、いわば「ものすごい感覚の嵐のなかに、あえて自分を放り込む、というより、自分さえも輪郭はなくなり、存在しなくなる状態に置くこと」を、時々やること。

そうしなければ、どんなに社会に適応しても、私にとってすべて生きている意味がないと感じることを。

かんたんにすることは、すごくきもちいいけど、すごく、自分にとって一番大切、がこぼれ落ちて不快であること。

こんなことをあえてするのはすごく変かもしれない、ばかばかしいかもしれない、適応できるならしちゃえばいい、苦しまなくていい、という考えだってある。

でも、適応すると私は悲鳴をあげてしまうんです。「苦しくない!死にたい!」って。

なんにもないからぜんぶあることに、さらされなくては、と思う。

それは自分の中の差別に抗い続けることにも似ているし、感情の言語化ができない、知覚統合が弱いことにも類する。

 

それを無理に「治療」しようとしないで、ある程度そういうことができる余力があるように調整するのを、支援者さんたちには、手伝ってほしいと思うこと。わたしはふつうのひとだけれど、狂ってしまうことをやめないという選択をしていて、狂うことで狂わないようにしている、狂うことで、消えることで、死なないようにしていることを、理解できなくても、知って、そのままにしてほしいと思うこと。

 

私は偉い話

心理士さんより:「あなたのような人が学校を出て、なんとかお金を稼いでいる、というのはものすごく大変なことだと思います。とてもすごいことです。」

 

インチュニブとメラトベルはかわいい話、今後どこでする?

インチュニブはフォントがかわいいし、メラトベルは芽が出てるベルでかわいい、と話したら「インチュニブはグアンファシンのことだから、僕らはGXRと略称していて、だからバイクみたいだと思ってた。そうとるのかー、かわいいかー」と言われた。急にフォントが角が立ってごつくなる!

…と、こういう「発達障害の知識が必要で、構えずに、でも悲観せずに、当事者性ともまた違うかたち」で、いろんな愉快な話ができる場、今後も持ちたいと思います。こういうのが私は楽しいと思うから。

これはちょっと課題です。

いまある関係を十分に楽しんで、かつ新しい関係を増やすのは体力的にけっこう厳しいので、なかなかどうして、といったところ。

こういう話したいひと、どんどんしてください〜。

 

「なんにもしないで月々小金がほしい」の曲

これはカウンセリングでは話しませんでしたが、この曲を歌って踊れる自分、というのがかなり「うまくやれている」ポイントになっているきがするので一緒に記録しておきます。すなわち、

・いやいや働いていることを素直に表現できること(「たのしい!」と感じなくてもいいよ、ということ)

・自分の気持ちを、道徳的でなくても、「わたしすき、わたしきらい」と独り言でも口に出せること

というものです。

小難しい技術よりむしろしんどい部分がありますが、その分効果はばつぐんに出る可能性があります、私にはよく効いた気がしています。証拠はひとつもないけど。

 

いろんな話を早回しでして、心理士先生はそれを「はっはっは、いいねえ、もっとやれ〜」と笑って聞いてくれました。

 

いやー、きっと大丈夫です。

言えないもろもろは心に留めつつ、卒業!